yoga school kailas

ヴィッダシャーゴル訪問(1)

 ラーマクリシュナの福音

 第三章「ヴィッダシャーゴル訪問」より

1882年8月5日

 パンディットのイシュワル・チャンドラ・ヴィッダシャーゴルは、シュリー・ラーマクリシュナの生地カーマールプクルから遠くないベールシンの村で生まれた。
 彼は偉大な学者、教育者、文筆家および博愛者として知られていた。近代ベンガル語を作った一人である彼は、サンスクリットの文法と詩にも精通していた。彼の寛大さは、彼の名前を同国人周知のものにしていた。その収入の大部分は、未亡人や孤児や貧しい学生などの困っている人々に施されたのである。その慈悲心は人間のみに限られなかった。彼は子牛からミルクを奪わないために、何年間もミルクを飲むのをやめていた。また馬を苦しめるのを恐れて、馬車にも乗らなかった。
 彼は不屈の精神の持ち主で、カルカッタのサンスクリット大学の校長という収入の多い地位を、当局者と意見が合わないという理由で捨てた。彼の母への愛は特に深かった。ある日、渡し船が欠航していたので、彼の弟の結婚式に出てもらいたいという母の願いに応じるために、生命の危険を冒して激流を泳ぎわたった。彼の全生涯は、全く簡素であった。ヴィッダシャーゴル(学識の大海)という称号は、彼の博識を称えて贈られたものであった。
 
 シュリー・ラーマクリシュナは長い間、イシュワル・チャンドラ・ヴィッダシャーゴルを尋ねたいと思っておられた。Mがヴィッダシャーゴルの学校の教師であることを彼から聞かれて、師は「私をヴィッダシャーゴルのところに連れて行くことができるか。私はぜひ彼に会いたいのだ」とおたずねになった。

 Mはイシュワル・チャンドラにシュリー・ラーマクリシュナの希望を話し、パンディットは喜んでMが師をある土曜日の午後四時に連れてくることを承諾した。彼はただMに師がどのような種類のパラマハンサであるかを尋ね、「彼は黄土色の衣を着ておられるのか」と言った。Mは答えた。

「いいえ、彼は変わった人です。赤い縁取りをした衣をまとい、磨かれた上靴を履いています。ラーニ・ラシュマニの寺の中の一室に住み、その部屋にはマットレスと、蚊帳のついた簡易ベッドが置いてあります。外見には聖者らしいところはありません。しかし、彼は神のこと以外何も知りません。昼も夜も神のことだけを考えています」

と。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする