yoga school kailas

ラームチャンドラ・ダッタの生涯(6)

 真の弟子は、師の指示どおりに行動し、それによって師への愛を示す。
 
 師は仰った。

「信者に奉仕する者は、わたしに奉仕するのである。」

 ラームは師のこの戒律を厳格に守り、シュリー・ラーマクリシュナの信者達に対して終生、卓越した信仰心を持って仕えた。彼はよくこう語った。

「シュリー・ラーマクリシュナのもとを訪ねる者は、わたしの最も近しい身内です。」

 彼の妻クリシュナプレーヤシーもまた、とても信心深かった。彼女は快活に、夫が霊性の道を進むのを助けた。
 さらにラームは、金銭について師がこのように信者達に警告していたのを聞いた。

「橋の下を絶えず流れ続けている水が、決して淀まず濁ることがないように、真の信者は、稼いだ金は貯蓄するよりも、高貴な目的のために使うべきである。貯蓄に対する願望は、執着の毒を増殖させるのだ。」

 ラームはそれゆえに、収入を蓄えることはせず、他者――特にみすぼらしい人々、貧しい人々、そして病人のために惜しみなく金を費やした。彼は多くの学生を財政的に援助し、自宅で賄いと下宿を無料で提供したほどだった。しかし、ラームが最も興味を示したことは、自宅で毎晩キールタンを催し、三十人ほどの参加者に食事を提供することであった。

 霊性の生活は常に順調に進むわけではない。ラームと信者達は深夜まで賛歌に没頭していたのだが、これは当然、多くの騒乱を引き起こした。すぐにラームの近隣の住民は苦情を訴え始めた。そこでラームは、キールタンと霊性の修行の実践を継続できる人里離れたガーデンハウスの購入を決意した。彼がこの意図を師に報告すると、シュリー・ラーマクリシュナは、「百人もの殺人者がそこに収監されていても誰にも知られないほど人里離れたガーデンハウスを購入しなさい」とアドバイスなさった。
 それで、一八八三年の中ごろ、ラームはカルカッタ東部の郊外のカンクルガチにガーデンハウスを購入した。
 数か月経ってから、師はラームにこう仰った。

「キールタンを続けるために購入した新しいガーデンハウスにまだ招待してくれないのはなぜだい? そこがどのような場所かを見に、いつか訪ねてみよう。」

 ラームは喜びにあふれた。直ちに、師のご訪問のためのあらゆる準備を整えた。
 
 一八八三年一二月二六日水曜日、Mは『ラーマクリシュナの福音』にこのように記録している。

 ――シュリー・ラーマクリシュナは、マニラル・マリック、M、および数名の信者達と共に、馬車でラームの新しいガーデンハウスに行かれるところだった。

 師(マニラルに)「神を瞑想するためには、最初は彼を、ウパーディすなわち限定から自由な者として思うよう努めるべきだ。神はウパーディを超越した存在である。彼は言葉も心も超越しておられる。だが、このような瞑想で完成に至ることは非常に難しいのだ。
 しかし、化身を瞑想することは容易い。――人として生まれた神である。そうだ、人の中の神だ。肉体はカバーにすぎない。それは内部で火が燃えているランタンか、中の貴重品が見えるようになっているガラスケースのようなものだ。」

 庭園に着くと、師は馬車から降りられ、ラームおよび他の信者達を連れて聖なるトゥルシーの林に行かれた。その近くに立って、「なんと、これはよいところだねえ。ここでは楽に神を瞑想することができるよ」と仰った。

 シュリーラーマクリシュナは池の南の家に入って座られた。ラームは果物と菓子の盛られた皿を彼に捧げ、彼は信者達と共にそれを楽しまれた。そのあとで庭園内を歩き回られた。――

 シュリー・ラーマクリシュナ訪問の聖なる記念と、瞑想するのに理想的な場所であると師が語ったことで、ラームはそこを「ヨゴディヤーナ」(ヨーガ実践の庭園)と命名した。
 マンゴーの木には「ラーマクリシュナ・ボグ」(ラーマクリシュナの歓喜)、師が手足を洗った池には「ラーマクリシュナ・クンダ」と名付けた。師の提案に従って、庭園の北の端にパンチャヴァティ(五本の木立)が植えられた。
 師の逝去後、師がお辞儀をなさったトゥルシーの木立近くに、師の遺骨が祀られた。のちに、その場所に寺院が建立されたのだった。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする