ラームチャンドラ・ダッタの生涯(終)
ヨゴディヤーナにおける激しい苦行生活は、やがて彼の健康に影響を及ぼした。
一八九八年、彼はひどい赤痢にかかった。そして糖尿病と痛みの激しいできものも併発し、治療のためにシムラーの邸宅に戻ることを余儀なくされた。彼の妻、友人達、そして弟子達が献身的に仕えた。
晩年のある日、病気療養中だったラームチャンドラ・ダッタのもとに、師の一番弟子でありラームチャンドラ・ダッタの年下の従兄弟であったヴィヴェーカーナンダが訪ねて来た。
師との懐かしい日々について語り合っているときに、ラームチャンドラ・ダッタはバスルームに行かなければならなくなった。ヴィヴェーカーナンダが彼のスリッパを持って介助した。ヴィヴェーカーナンダの謙虚な態度を目にしたラームチャンドラ・ダッタは、目に涙を浮かべて彼に言った。
「ビレ(ヴィヴェーカーナンダの家族内でのニックネーム)よ、君がアメリカに行って有名になった後は、われわれのことは忘れてしまったのではないかと思っていたよ。しかし、今悟ったよ。君は今も変わらずわが弟ビレであることを。」
最良の治療と介護を施したにもかかわらず、ラームの体調は悪化した。彼は心臓疾患にかかり、ひどい呼吸困難を経験し、さらにそれは慢性の喘息を引き起こした。彼は眠れない夜を師の御名を唱えて過ごした。
一か月半後、彼はカルカッタの自宅で、もう長くはないだろうという予感を得た。彼はシュリー・ラーマクリシュナの遺骨が安置されている聖地で亡くなることができるようにと、ヨゴディヤーナに戻らせてくれるように妻と家族たちに頼んだが、彼らはラームを行かせるのを渋った。結局ラームは籠を呼び、弟子達と共にカンクルガチに向かって出発した。到着するとラームは言った。
「わたしはグル、シュリー・ラーマクリシュナのお側で永遠の眠りにつくためにここにやってきました。」
彼が生きたのは、それから五日間だけだった。
一八九九年一月一七日、午後一〇時四五分、ラームチャンドラ・ダッタは息を引き取った。彼の肉体はガンガーの岸辺で荼毘に付され、遺骨はヨゴディヤーナにあるラーマクリシュナ寺院の隣に葬られた。
亡くなる前に、彼はこう語っていた。
「私が死んだときには、遺灰を少しばかりヨゴディヤーナの入り口に埋葬しておくれ。そうすれば、この地を訪れる者はみな、私の頭上を歩くことになるだろう。こうして私は、永遠に師の信者たちの御足に触れていられるのだ。」
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