yoga school kailas

マハームドラー・ウパデーシャ

マハームドラー・ウパデーシャ

――ガンジス河のほとりで、シュリー・ティローパからナーローパに与えられたマハームドラーに関する口述。
 翻訳者チョーキ・ロドゥ・マルパにより、サンスクリット語からチベット語に訳された。

相互に出現した智慧に平伏せん!

マハームドラーは表現することができない。
されどグルに帰依し苦行を全うした汝
苦難を甘受する聡明なナーローパ
我が祝福されし弟子よ
この教えを心に刻み付けるべし。

耳を傾けよ!

世界の本性に目を向ければ
夢幻のごとく無常
されど夢や幻さえありはせぬ
それゆえ、放棄を極め世俗の活動を断念せよ。

召使と親族は放棄すべし
情念と嫌悪の源ゆえに。
森の中に、隠棲のうちに、人里はなれ
一人瞑想に励むべし。
瞑想の不在なる境地にとどまり
無達成を達成すれば、マハームドラーは達成されり。

サンサーラのダルマは狭量なり。
情念と嫌悪の源ゆえに。
人の創造物に実体はなし
それゆえ、究極の実体をたずねるべし
心のダルマは超越せる心の真意を汲むことができない。
行為のダルマは無為の真意を見出すことができない。

超越せる心と無為の実現の達成の後には
心根を断ち切り、意識を赤裸々にとどめよ。
精神活動の汚水を浄化せよ。
だが、幻影を止めようとしてはならぬ。
それ自ら休息するを待つべし。
拒否も受容もあらざれば
マハームドラーのうちに解き放たれる。

密に繁れる木々さえも
その根を断てば、あまたの枝葉は枯れ果てる。
同様に、汝の心の根を断ち切れば
多様な精神活動も衰える。

幾千ものカルパに渡り蓄積された暗闇も
一条のたいまつの光が振り払う。
同様に、輝ける心の瞬時の体験は
不浄なカルマのベールを払う。

これを把握することができない知性の劣る者は
意識を集中し、呼吸に注意を向けよ。
凝視と精神集中の多様な行をもって
自然な休息が訪れるまで心を鍛えるべし。

空間を知覚すれば
中心と境界という固定概念は消滅する。
同様に、心が心を知覚すれば
精神活動はすべてやみ
無思考の状態にとどまるのみ。
至高の菩提心を悟らん。

地上から立ち昇る蒸気は雲となり
空のかなたに消えうせる。
雲の行方も、その消え去るときも
知ることはできない。
同様に、心より生ずる思考の波は
心を知覚するときに消えうせる。

空間には色も形もなく
変化も白黒の色調もない。
同様に、輝く心には、色も形もなく
白黒、善悪の色調もなし。

太陽の無垢にして輝かしき本質を
幾千ものカルパに及ぶ暗闇で翳らすことはできない。
同様に、心の光り輝く本質を
俗世の悠久なるカルパで翳らすことはできない。

空間は、空っぽといわれるが
空間を語ることはできない。
同様に、心は輝くといわれるが
命名は、その存在を明かすことはない。
空間に局所性は微塵もない。
同様に、マハームドラーの心はどこにも宿ることはない。

変わることなく原初の状態にとどまるのみ。
束縛は必ずや解き放たれる。
心の本質は空間の如し。
それゆえ、心が包括しないものはない。

身体の動きはあるがままにくつろがせ
無駄口を慎み、言葉を山彦となし
心を持たず跳躍のダルマを見るべし。

身体は中空の竹、その実体はない。
心は空間の本質、思考の宿る場所はない。
心は緩やかに休ませよ。
とどめても、さまよわせてもならぬ。
心に目的がなければ
それがマハームドラー。
これを成就すれば、至高の悟りが達成される。

心の本質は光輝なり、そこに知覚の対象はない。
瞑想の道が消え去るとき
ブッダの道が見出される。
瞑想の不在を瞑想すれば
至高の覚醒が達成される。

これは数ある見解の王
固定と執着を超越する。
これは数ある瞑想の王
そこにさまよう心はない。
これは数ある行為の王
そこに努力の影もない。
望みと恐れの消えるとき
その目的は達成される。

不生のアーラヤには習慣もベールもない。
心は不生の本質に休ませ
瞑想と瞑想後を区別してはならぬ。
幻影が心のダルマを枯渇させるとき
人はすべての限界から解き放たれ
数ある見解の王となる。

境なく深きは瞑想の至高の王。
努力なる自らあるは行為の至高の王。
望みなく自らあるは成就の至高の王。

初めには、心は荒れ狂う河のごとく
中ほどでは、とうとうと流れるガンジスのごとく
ついには、母と息子と出会いのごとく
あらゆる河川の合流のごとくなり

タントラ、般若心経、ヴィナヤ
あまたの経典や宗教の信者たち――
経本と哲学上の教義を保って学ぶものはすべて
光り輝くマハームドラーを見ることはできない。

欲望なく、心を持たず
自ら沈着し、自らある。
あたかも水面のさざなみのごとく。
その輝かしさにかげりを投げかけるのは
欲望の生起のみ。

サマヤは訓戒を思うときに破られる。
宿ることなく知覚することなく
あるいは、究極より迷い出ることなければ
汝は聖なる行者、暗闇を照らすたいまつとなる。
欲望なく、極端に走ることがなければ
あらゆる教えのダルマを見る。

努めてこれに専心すれば、俗世の牢獄から解き放たれる。
この瞑想に従えば、不浄なカルマのベールは燃え落ちる。
それゆえ、汝は「教義のたいまつ」と呼ばれる。
この教えに帰依しない無智な者でさえ
溺れ続けるサンサーラの河より
汝の力をもって救われる。

生あるものが、あの低い領界で
苦しみを耐え忍ぶのは、哀れなり。
苦しみからの解放を求める者は
賢明なるグルを探すべし。
グルの祝福に抱かれれば
人の心は解き放たれる。

カルマムドラーを求めるならば
歓喜と空の合一の智慧が現われ出でる。
方便と智慧の合一は祝福をもたらす。
それを継続し、曼荼羅を出現させ
身体の隅々にまで到らすべし。
そこに欲望の介入がなければ
歓喜と空の合一が生じる。
白髪なく、長寿を得
月のごとくに満ちてゆく。
輝きを持って、汝の力は完璧なり。
相対的シッディを速やかに達成した後は
絶対的シッディを求めるべし。
マハームドラーに関するこの教えが
祝福されし存在の心に残らんことを。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする