バクティの精髄(7)
◎恩寵の教義
あなたは主の創造物の至るところで、彼の恩寵に気付くことができる。暑い夏、あなたはブドウ、キュウリ、ザクロの甘いおいしいジュース、そしてリシケシやハリドワールの冷たいガンガーの水を楽しむだろう。これは主の恩寵である。あなたが深刻な病気に苛まれているとき、薬草によってその病は直ちに治るだろう。これも主の恩寵である。夜の暗闇の中を歩いているとき、星々が輝き、あなたの道を照らしてくれる。これも主の恩寵である。あなたが耐え難いほどのものすごい痛みに襲われるとき、あなたは意識を失うであろう。これも、主の恩寵である。焼け付くような暑さの日、涼しいそよ風が吹き、あなたを元気づける。これもまた、主の恩寵である。
主の恩寵は、明け渡しの度合いに比例してわれわれに降る。明け渡せば明け渡すほど、恩寵はより一層降るのだ。
カタ・ウパニシャッドには、声を高々にしてこう説かれている。
「勉学によっても、講演によっても、議論によっても、知性によっても、真我を得ることはできない。主に選ばれた者が、真我の悟りに達するのだ。」
愛欲、怒り、エゴイズム、プライドなどの微細な種類の煩悩は、主の恩寵によってのみ、完全に破壊される。どんなに激しく努力しても、サーダナーを行なっても、微細な煩悩は、そのサーダナーだけでは根絶することはできない。主の恩寵は、あなたの心を完全に浄化する。求道者たちを奮起させ、彼らに正しい努力を行なわせているのは、主ただお一人なのである。
しかしあなたは「主の恩寵が私のためにすべてをやってくれるだろう。どうしてサーダナーを行なわなければならないというのだ」と言って、怠惰に座っていてはいけない。これは誤った哲学である。神は、苦しみを乗り越えようと努力する者たちを助けてくださる。主の恩寵は、努力をする者にのみ降るのだ。主があなたのために自己の明け渡しを行なってくれるであろうなどと、期待してはならない。立ち上がり、働きなさい。精進せよ。こつこつと努力し続けなさい。そうすれば、主はあなたに恩寵を注いでくれるだろう。
ミーラーはすべてを放棄した。王国、夫、縁者、友人、所有物のすべてを放棄したのだ。彼女は昼も夜もずっと、主クリシュナのことを思っていた。彼女はプレーマの涙を流し、一途な信仰心で主の讃嘆を歌った。彼女は食物を捨てた。彼女の体はひどく痩せ衰えたが、心はずっと主クリシュナに没頭していた。それだからこそ、主クリシュナは彼女に恩寵を降り注ぐことができたのだ。
主には五つの仕事がある。彼はカルタ(行為者)であり、アカルタ(非行為者)であり、アンニャター・カルタである。彼はジーヴァをヴェールで覆い隠す(ティローダーナ、ティローバーヴァ)。そして彼はその恩寵によって、ヴェールを取り除く(アヌグラハ)。
人々は怠けて、「主は私のためにすべてをやってくださる。どうしてサーダナーを行なわなければならないというのだ。すべては主の恩寵にかかっているのだ」と言うだろう。
怠慢を取り除くために、シュリー・ヴァシシュタ方は「プルシャールタ・ヴェーダ」をお説きになられた。真実には、すべてが主の恩寵でしかない。葉も原子も、主の許可なしでは動かない。
あなた方皆が、信と信仰によって、主の恩寵を得られますように! 主があなた方皆に恩寵を注いでくださいますように。
主と主の恩寵(クリパー、アヌグラハ、プラサード)に栄光あれ。
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