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「地獄のカルマを落とすには」

◎地獄のカルマを落とすには

 何か質問とかありますか? 特に今日に関係ない質問でもいいので。

(Y)先生、地獄のカルマを落とすために例えば蓮華座を組み続けるとかってあるんですけど、例えば自分の肉体に敢えて痛みを与えるってことも解消になるんでしょうか? 
 例えばね、柱に頭をぶつけるとか、根性焼きとか(笑)。

(一同笑)

 あの、なるんだけど、ポイントはね――デメリットの可能性もあるんだね。可能性もあるっていうのは、純粋にそのカルマを落とそうという気持ちだけだったらいいんだけど、逆に自分のカルマの現われとしてやってる場合もあるし、あるいは邪悪な心が入り込む場合がある。だからいろんなそういった自分でカルマを落とすことがすべて意味がないとはいわないが、オーソドックスなっていうか、修行として認められていることをやったほうがいいね。無難だね。
 だから例えば蓮華座ももちろんそうだし、例えばね――今頭ぶつけるとかで言ったら、五体投地ね。あれを思いっきりやればいいです。私はよくそうやってたけどね。もうボーンって感じでやるんです。ちょっとやってみるとね――ここ滑らないからやりにくいけども――こんな感じで、そうすると膝と――

(Y)打ち身になりますよね。

 そう、なる。で、打ち身もそうだし、血も出てくるしダラダラしちゃってくるんだけど、何でこれがいいかっていうと、自分の中でね――つまり五体投地っていうのはヨーガでも仏教でも古来からね、神への礼拝として認められてるもんだと。これは神聖なもんだと――っていう意識があって、で、神聖なことを自分の体を犠牲にしてやってるんだという意識がある。このような意識のもとに体がボロボロになったら、いい方向に向かいつつカルマは落ちるんだね。
 だから凄く、カルマとかわれわれの意識っていうのは複雑なんだね。例えばさっき言った根性焼きを例にとったらね、根性焼きやったら、たぶん自分が過去世で不良だったときのデータが(笑)――過去世から不良ってあるのかよくわかんないけど(笑)、そういう悪しきデータもよみがえってくるんですよ。それと一緒にカルマも落ちるからプラスとマイナスもあるんだね。あるいは例えば刃物で切り刻んだとしますよ――大体ね、私いろんな人見てると、地獄のカルマがある人って、自分が刃物で切り刻まれるイメージが出る場合が多いです。夢とかイメージの中で自分が――刃物だけじゃないんだけど、自分の体を切られるようなイメージとか出てくるんだね。これは地獄のカルマなんです。で、それによって自分をこうやっちゃった場合、それは単純に地獄のカルマ増大してるだけなんです(笑)。だから全然カルマ落ちてないというか(笑)。だからその辺は気をつけなきゃいけないんだね。
 だから修行っていうのを一つの土台にして、それで痛めつけるなら構わない。例えば今言った礼拝で思いっきりやるとか、あとは曼荼羅供養とかで――よく虹の階梯にもあるけど、曼荼羅供養でわざとね、思いっきりこう金属を手でやって手が血だらけになるとか。あとは蓮華座は一番いいよね。だから蓮華座が一番いいですよ。だって地獄のカルマってやっぱり足にいっぱいあるから、一番手っ取り早い。だからそんな、ぶつけてカルマ落とそうって考えるよりは――

(一同笑)

(Y)やろうとは思ってないですよ(笑)。例えばの話って思ったんです(笑)。

 ああ、例えばね(笑)。――長く蓮華座組んだ方がいいね。うん。だから地獄のカルマ落とすには長く蓮華座組むのと、あとはやっぱり慈愛の訓練だね。逆にね。プラスの、地獄とはまったく逆の訓練をいっぱいすると。
 あとはね、地獄に限らずヴァジュラサットヴァのマントラ、それから懺悔の修行。これをやってたら、自動的にカルマは落ちます。自動的にっていうのは、自動的にカルマを落とすような現象がいっぱい起きます。それが一番いいかもしれないね。うん。しっかり過去の悪業の懺悔して、で、マントラ唱えると。そしたらもう自分が望もうが望むまいが、そういう現象がいっぱい起きてくる。
 しかもそれは――一番コンパクトな形で短くきます(笑)。不思議なことに。バーッて短い時間でそれが過ぎ去っていくんだね。
 だからさ、ヴァジュラサットヴァとかあるいは懺悔したからって、自分の罪がチャラになるってことはないんだね。チャラにはなんないんだけど、凄く凝縮したコンパクトな形でバッといくんです。でもそれにも耐えられないって人もいるから、それはもう耐えなきゃいけない。それはもう自分の浄化だと思ってね。それを例えばほっといて将来の自分が受けるとしたら、相当な苦しみだから。それを仏陀とか神への帰依とね、懺悔とマントラの形によって凝縮した形で――チャラにするってことは不可能だから、凝縮した形で――だから例えが悪いかもしれないけど、過去にいっぱい作った借金をね、ちょっと整理してもらって一括にしてもらってコンパクトにまとめてもらったと(笑)。でもそれは返しなさいよと(笑)。返すのゼロってことにはいきませんよと。あるいはある程度肩代わりしてもらったけどこれは返しなさいよと。だから絶対やったことってのは返んなきゃいけない。でも例えばそれをわれわれがその信仰の力とか修行の力によって、もう一方のそういうラインを結びつけたなら、そういうその形でコンパクトに返るんだね。それが一番いいかもしれないね。
 だからそういう意味で言ったらね、修行っていうのはさ、信を持ってそれから素直にやってれば、結構簡単なんです。素直に素直に信を持って、「じゃあ懺悔します。懺悔します」と。で、言われた通りのっていうか定められた修行やりますと。そうやってたらね、凄く分かり易く人生っていうのは修行によって浄化されて、で、いろんなものが身に付いていきます。でもこだわりがあると、「ちょっとそれは受け入れられません」とか「ああ、ここまでできるけどこれは耐えられないからちょっとパスしておきます」とかやってると、こういろいろできた部分と全然駄目な部分と混ざり合って、わかりにくくなるんだね。――おれの修行って進んでるのかどうかわからない、と(笑)。進んでる部分はもちろん進んでるんだけど。そういう部分は必要だね。純粋な信と素直さ。

◎蓮華座の重要性

(Y)他にヨーガやってるとか瞑想やってる人と話をしても、蓮華座で瞑想するって言うと凄い驚かれたりしますね。

 ああ、そうかもしれないね。

(Y)「蓮華座でそんな何時間も!?」って(笑)。

 一般的にはそうだね。最近のヨーガってさ、アメリカとかヨーロッパ系のが多いから――例えば一般に出てるね、外人さんがやってるようなヨーガの本とか見ると、瞑想とかいって、あぐらでやってる人が多いんだよね。それが普通の先生として通ったりしてね。だから何ていうかな、彼らも、蓮華座こそが素晴らしいんだって思ってやってればそれは組めるようになるんだろうけど、そういう発想があまりないから楽なほうとっちゃうんだね。
 何回か言ってるけど、蓮華座っていうのは物理的に一番いいんだね。気がしっかり上がって心が統一されるというか。
 二番目にいいのはシッダ・アーサナだね。こう、かかとを会陰に当てて、こういう座り方ね。だから蓮華座がもし組めないときはこれをやったらいいと思うけどね。
 ただカイラスの場合、みんなカルマがいいのか最初から組める人も多いよね。組める率って凄いよね、カイラスってね(笑)。で、カイラスで――組めなかったんだけど来たときから組める人もいる(笑)。Cさんとか確かそうだったよね。Cさん確か最初来たとき、「僕は蓮華座組めないんですよ」とか言ってて、「え、組んでみな」って言って私がグーッて押したら、「ああ! 組めた!!」って、初めて組めた(笑)。まあ、目覚めるんだろうね(笑)。過去に組んでたのがね。
 チベット仏教でも、チベット仏教のちゃんと瞑想の本を読むと、やっぱり蓮華座なんです。あっちではヴァイローチャナのアーサナっていうんだけど、ヴァイローチャナの座法っていって、まず蓮華座を組んで腰を入れて顎を引いてとかちゃんと書いてあるんだけど、でも現実的には今のチベットのお坊さんとかでも太っている人が多いから(笑)、蓮華座組んでない人とか多いんだよね。あれははっきり言うと、私からいうと妥協に見えるね。だって経典にはちゃんと書かれているわけだから。だからどんな時代だって人間の肉体組織とかエネルギーのプロセスって変わらないわけだから、それはぴったりきちんと蓮華座組めるようになったらそれが一番いいね。

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