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バクティの精髄(26)

◎自己の明け渡し

 自己の明け渡しとは、自己を完全に神に明け渡すことである。
 自己の明け渡しは、神の恩寵の実在と、主はいつでもバクタを助ける準備をしておられるということをバクタに感じさせる。

 神の威光はバクタの存在の中に流れ込み、神の悟り、そして神の道具に相応しい媒体となるように、バクタの存在をかたち作るのである。

 明け渡しと恩寵は相互に関係している。
 明け渡しは恩寵を下ろし、恩寵は明け渡しを完全なものにする。
 明け渡しは心の浄化を開始し、恩寵はそれを完全なものにする。
 恩寵なしには、完全なる神との合一は不可能である。
 恩寵は、あなたが絶えざる恩寵の流入とインスピレーションを受け取り、それを保持し続けることができるように、あなたの存在を神聖化する。
 あなたの存在全体が刺激を受けて、活性化されるのは、ただ神の恩寵を通じてのみである。

 あなたは、神に自己を明け渡すことによって、絶対なるものを悟ることができる。
 明け渡しは、一週間や一か月で為されるようなものではない。
 サーダナー(修行)の一番はじめから完全なる明け渡しを完成することなどはできない。

 自己主張しようとするわずかなエゴは、何度も何度も、生き延びて抵抗してくる。
 エゴは、蛭のように、古い習慣、煩悩、欲望にしがみついて離れない。
 エゴは、ゲリラ戦を仕掛けてくる。
 エゴは、明け渡しに抵抗してくる。
 エゴは、秘めた欲望を満たすために、ある特定の対象を要求してくる。
 存在すべてを明け渡さなければならない。
 なぜならば、クリシュナがこう言っているからである。

「至高者に、君の存在すべてを明け渡して、帰依しなさい。おお、バーラタ族の子孫よ。
 チッタ、エゴ、心、知性、魂――これらすべてを、主の御足に捧げなさい。」

 ミーラーバーイーはこれを実践し、主クリシュナの恩寵を得て、彼と一つとなった。

 野卑で頑固で強情なエゴは、ダイヤモンドで強化したコンクリートや強化スチールよりも硬い。
 それを溶かすことは非常に難しい。
 不断の念正智と絶え間ない努力が、この平穏と智慧の恐ろしい敵を殺すために必要なものである。
 エゴは、自分の欲望をひそかに満足させようとする巧妙な欲求を隠し持っている。
 念正智というサーチライトを使って、心の隅に潜むその微細な欲望を内省し、見つけ出し、規則的な寂静の瞑想を使って、情け容赦なく殺してしまいなさい。

 肉体のことは心配しなくてもよい。
 もし肉体を使ってさらなる奉仕をする必要があるのならば、神が守ってくださる。
 主の御足に体を明け渡し、平安のうちに安らぎなさい。
 神はそれを守ってくださるだろう。
 真のバクタはこう言う。

「何百万回も、私を生まれ変わらせてください。それは問題ではありません。
 しかし、わたしを主ハリの蓮華の御足に結び付けてください。
 主に対する自然に湧きおこる信仰心をお与えください。
 純粋さ、精神的強さ、無私の奉仕の精神、神聖なる美徳をお与えください。」

 もし、本当の内なる思いからではなく、ただ単に「わたしは汝なり、おお、主よ」と言ったとしても、真の完全な自己の明け渡しとはみなされない。
 それは、心の奥底から発されるものでなくてはならない。
 あなたは、凄まじい変化に対する覚悟をしなくてはならない。
 あなたは、昔からの自分の習性、流儀、動機などに固執してはならない。
 あなたは、すべてが自分の思い通りに起こるということを期待してはならない。
 あなたは、神聖なる目的を遂行するために生きなければならない。
 あなたは、自分の心を満足させるような野心を抱いてはならない。
 あなたは、自分(エゴ)の目的のためには、神の恩寵や神の力さえ、使おうと考えてはならない。
 抑えがたきエゴは、さまざまな方法ででしゃばってきて、自分の古い性向や流儀を放棄することを拒む。
 エゴは、神からすべてのものを得ようとする。
 エゴは、神に自らを明け渡すことを完全に拒否する。
 それが、求道者が数年間サーダナー(修行)を行なっても、霊性の道において十分な進歩を遂げられない理由なのである。

 「自己の明け渡し」において、失われるものはなにもない。
 あなたは、主からすべてを得る。
 あなたは、主のすべての神の力(アイシュヴァリヤ)を楽しむのだ。
 主のすべての富は、あなたのものとなる。
 シッディ(達成、成就)とリッディ(繁栄、成功)は、あなたの足元に転がり込んでくる。
 あなたは神と一つになる。
 あなたは、欲求、欲望、渇望――すべてから自由となる。
 神に飢え、真の喉の渇きを覚える求道者――主のヴィジョンを渇仰する求道者は、神に向かっていき、主の御足に自分の肉体、命、心、そして魂を捧げることを全く厭うことなく、しきりに捧げたがり、捧げることを非常な喜びとする。

 自己の明け渡しの第一段階は、自分自身を神あるいはグルに明け渡す確固たる決意である。
 師への奉仕、あるいは人類への奉仕、あるいは悟りに到達するために、自分の命を捧げたサーダカ(修行者)は、自己を明け渡した結果として、自分が為す行為によって縛られることが全くなくなる。
 自己の明け渡しは、神を悟ってはじめて、完璧なものとなる。

 世俗の家庭生活の放棄は、自己の明け渡しの第一歩である。
 もちろん、燃えるようなヴァイラーギャ(放棄)と識別力を有し、霊性の復活を得るために真剣でひたむきな者は、この世にいながらでも、完全なる自己の明け渡しを行なうことができる。
 この世界にいながら、そしてこの世界のどこにいようとも、彼は自分の存在すべてを主に完全に明け渡すことによって、主を悟るのである。
 しかし、実際にそれができるのは、ごくわずかな者のみである。
 なぜなら、世俗の生活は無数の障害と誘惑に取り巻かれており、求道者は、ものすごい数の欲楽・娯楽の真っただ中にいながら完全なる無欲の境地に達することは非常に困難なことであるということを知るに至るからである。
 したがって、世俗的な家庭生活の放棄は、この道を容易に、そしてスムーズにする。

 まず種が蒔かれる。それから求道者は師のもとへ行き、彼の御足に平伏する。
 種が発芽する。彼はグルへの奉仕を始める。
 信仰と心からの奉仕において進歩していくにつれ、求道者の明け渡しはますます完全で完璧なものとなっていく。
 心はどんどん純粋になっていき、徐々に叡智の光が求道者の中に現われだすと、求道者は、至るところすべてに遍在する真我を悟るのだ。

 放棄の後にサーダカによって為される行為は、サーダカを盲目にしない。なぜなら、サーダカは、すべての行為を供物として、師あるいは主に捧げているからである。
 サーダカは、利己的と思われる行為を一切行なわない。
 このように、完全なる自己の明け渡しを伴った師への奉仕を通じて、サーダカの心は浄化され、最終的には、主が彼の師となるのである。
 そのとき、サーダカは主に完全に明け渡し、最高の直観智を得る。

 はじめには、個の努力が必要不可欠である。
 明け渡しが完成したら、神の恩寵がサーダカに降り、神の力そのものが、サーダカのためにサーダナー(修行)を行なってくれる。
 サーダカに降った神の恩寵と力は、サーダカの心、意志、命、肉体を完全に所有してしまうのだ。
 その後、サーダカの修行は、凄まじい速さで進んでゆく。

 自己の明け渡しによって、バクタは人格神あるいはサグナ・ブラフマン(有形のブラフマン)と一体となる。ちょうど、ジュニャーナヨーガの道をゆくヴェーダンタの求道者が、自己否定によって人格なき絶対者と一体となるように。
 神の恩寵は、魔王とその王国を滅ぼす。

 求道者は、公で語るのを恥じてしまうような行為は決して行なってはいけない。
 もしそのような行為を行なえば、霊性の進歩が遅れるだろう。
 肉体と心は、すべての存在の姿で顕現している主への奉仕という祭壇に捧げられる。
 最終的には、求道者の心は、内なる魂に溶け込む。
 サーダカは、ジーヴァーンムクタ(生前解脱者)となる。

 サーダカたちよ、勇敢であれ!
 主は、仮にあなたたちが主から顔を背けたとしても、あなたたちを愛してくださる。
 そしてあなたたちがまた、信と献身をもって誠実に主に向きなおれば、主はあなたたちをさらにどれほど愛してくださることか――主の愛はとても深いのだ。計り知れない大海よりももっと深いのだ!

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