ド・キェンツェー・イェシェー・ドルジェの生涯(14)
ドドゥプチェンは喜びにあふれ、健康そうに見えました。時折、彼は突然ヨーギーの歌を口ずさむことがありました。また、目にしたヴィジョンについて語ることもありました。ド・キェンツェーや他の者たちは、彼の身体が様々な姿になるのを何度も目にし、ときに彼の座席には身体のない衣服だけが座っていました。このような尽きることのない驚きの中で、もし誰かの頭の中に教えに関する質問が何かしらでも浮かんだならば、その瞬間に尋ねるまもなく答えるのでした。
鉄の竜の年(1821年)の第6の月の10日、大いなる悲しみとともに、師と弟子は今生における別れを告げたのでした。ガルルンの峠で、ド・キェンツェーとパルゲは、祈りの言葉とともにドドゥプチェンに対して100回の礼拝を行いました。ド・キェンツェーは名前をレーパ・ヨンタクと変え、数名の者たちとともにトゥクヤプ県のトゥクジェ・チェンポへ向かい、その後、アムドにおいてアムチョク、ラタン、ツォ・ンゴポを含めた様々な場所を巡り、そしてレコンへ行きました。その後、彼はラクサン・ラプカルを除く付き添いの者をすべて家に帰らせました。
レコンでは、彼は三日三晩修行するために墓地へと行き、感情や概念を揺さぶり、そして静めることに首尾よく成功したしるしを得ましたが、その後、天然痘にかかってしまいました。そして二週間以上にわたって無意識状態に陥りました。そのあいだ、彼は世界の様々な領域を目にしました。あるときは憤怒の神々に身体を食べられることによって、自分の身体の不純性が浄化されるという経験をしました。サンド・ペリ(銅色に輝く山)の純粋なる地で、七日間にわたってグル・リンポチェや過去の多くの偉大なる成就者たちとともにツォク供養の儀式に参加しました。ツォクの最後に、グル・リンポチェが心の委託の伝授と予言とともにテルの入った七つの宝石箱を彼に預けました。そして、グル・リンポチェはこう言いました。
「わが息子よ、知覚の非真実性を悟った後は、
独居することにはほとんど利益はない。
現象的な現れの偽りが自分自身の中で崩壊し、
制御されない生来的な本性が認識されたなら、
理解するものと理解されるものの微細な姿や
汚された善行に対する識別に陥ることないなら、
原初的な純粋性の広大な広がりを強くつかみ続けていなさい。」
それから彼はドドゥプチェンに会いに行くというという経験をし、ドドゥプチェンは再会したことを大喜びし、こう言いました。
「私は今年の最初の月にこの世を去るつもりです。あなたのためのアドバイスを妹に残してきます・・・・・・近いうちにあなたの人生の障害は防がれるでしょう。」
ド・キェンツェーはドドゥプチェンの心臓に白いアー字を見ました。それに意識を集中させると、彼の心は言い表せない状態に溶け込んでいきました。そして彼が自分の身体に触れているように感じたとき、肉体的な意識に戻りました。彼の病は消え去りましたが、十分に回復するにはさらに一ヶ月ほどかかりました。