ド・キェンツェー・イェシェー・ドルジェの生涯(13)
ド・キェンツェーは、デゲ国王ツェワン・ドルジェ・リクジンの宮殿で必要以上の多くの時を過ごしました。なぜならば、彼の従者たちが、幸運、崇高さ、ならびに力において、ドドゥプチェンの僧院的な隠居所よりもこの宮殿に居ることを好んだからでした。
ある日、ド・キェンツェーは、彼の妹と従者にこう教えました。
「あの谷には年老いた乞食の女性がいます。その彼女にこのツァンパ、肉、チャン(ビール)をあげなさい。」
彼らがそこへ着くと、その年老いた女性は怒った顔でツァンパを放り投げましたが、肉とチャンは受け取りました。妹はその女性が光の身体をしているのを目にし、またその尿からは甘い香りがしたのでした。その女性は彼女に荒々しい言葉を吐きながら、飲み物を与え、次のようなド・キェンツェーへの伝言とともに、ドゥスティ(祝福された薬のようなもの)を授けました。
「我が愛する息子よ、あまり長くこの地域にとどまってはいけない。ここに居ては吉兆の因が淀んだものになってしまう。」
翌日、彼らはさらに食べ物を持ってその女性の場所へと行きましたが、しかし昨日女性がいた場所には、かつて誰かがいたという形跡さえ残っていませんでした。
デゲ国王とド・キェンツェーの従者たちは、ド・キェンツェーが隠遁修行者になるのではないかと恐れ、不安になっていました。彼らの意見は、彼が偉大なラマであるには、厳しい戒律を守る寺院の僧侶か博識の学者でなければないらないというものでした。
ド・キェンツェーは、自分は地位の高いラマにとどまるつもりはなく、したがって隠遁修行者になることを許してもらうか、または反対に幽閉されるかのどちらかしかないということを宮殿の廷臣に単刀直入に伝えました。国王はこう言いました。
「中央チベットのサキャ・コンマやカムのドドゥプチェン・リンポチェ、そしてチベットの数多くの他の聖なる重鎮たちも、あなたが全智者キェンツェー・オーセル[ジグメ・リンパ]のトゥルクであることを認めています。私の亡母の時代から、あなたはデゲの教師やニンマ派の伝統における王冠の飾りとして認められてきました。なのに、どうしてここを去って隠遁修行者になるなんてことができるのですか?――そして、どうしたら私はあなたがダルマのために進むを止めることができるのでしょうか?
近いうちに、私自身ならびにゾクチェンとカトクの僧院の者たちはドドゥプチェンに代表者を送って、彼の意見を聞くつもりです。われわれはラマが与えた命令ならどんなものであってもを破ることはないし、あなたもそうでしょう。」
ド・キェンツェーはこれに同意しました。彼とデゲ、ゾクチェン、カトクならびにディクンの代表者たちはヤルルンへと旅をし、ドドゥプチェンの前でこの件を提示しました。
ドドゥプチェンは三日間、一言も話しませんでした。それから彼はド・キェンツェーにこう告げました。
「人びとはあなたに僧院を支える僧侶になって欲しがっています。しかしあなたの過去生における活動や予言から判断するなら、そうはならないでしょう。あなたはしばらく放浪修行者になり、後にヴァジュラダラ、つまり奥義に達した成就者になるでしょう・・・・・・人びとの中には、私にあなたが私の従者としてとどまるよう言ってもらいたい者もいます。それはあなたの邪魔をすることであり、あなたの望みに反することでしょう・・・・・・辰年(1821年)の終わりに、私も自分自身の場所[死]へと旅立つつもりです。だから、冬と春のあいだはここにとどまり、さらに教えの解説を学びなさい。次の夏の終わりになれば、あなたの好きなようにしなさい。[言い換えるなら、私が死ぬ前に出発しなさい。] さもなければ[もし私が死ぬ前に旅立たなかったなら]、人びとは私の望みに従わなかったと言ってあなたを責めることでしょう。」
ド・キェンツェーは、ドドゥプチェンが近いうちに死を迎えると聞いて驚き、頷くしかなかったのでした。それからドドゥプチェンはこの決定を代表者たちに伝えました。翌日、地の兎の年(1820年)の第7の月の10日、ツォク供養の儀式のあと、ド・キェンツェーは持参した財産の一切をドドゥプチェンに捧げました。ドドゥプチェンはド・キェンツェーの髪の毛に祝福を与え、その時から彼は髪を伸ばすことを許され、またドドゥプチェンは新しい白の法服一式にも祝福を与え、それを彼に渡して、こう言いました。
「二年半、この服を着なさい。その後、あなたは新しいものを手にするでしょう。」
ド・キェンツェはすぐに着替え、白い法服を身にまとった密教行者に変わりました。
それからド・キェンツェーは代表者たちとともにデゲへと向かい、その決定を国王に伝えました。そしてそれを聞いた国王はこう答えました。
「ダルマの守護者ドドゥプチェンがそのような命を下されたのなら、私には“どうかあなたの望むとおりにしてください。”という以外にあえて言うべきことはありません。」
ド・キェンツェーは自分の所有している財産の半分をディクンに送り、もう半分はデゲで預けました。
ド・キェンツェーはすぐに、二人の従者とともにつつましい修行者としてドドゥプチェンのもとに戻りました。ドドゥプチェンはそのような彼の姿を見て大変喜び、こう言いました。
「今や、あなたは放浪修行者です。権力や名声を求めることなく、謙虚な姿勢を維持しなさい。つぎあてされた古い法服を着なさい。
“一切の利益と勝利は他者に与えなさい。そして一切の損失と敗北をあなた自身が引き受けなさい。”という格言に従って修行しなさい。」
その日一日、彼はドドゥプチェンからカンド・ヤンティクのイニシエーションとイェシェー・ラマの教えの詳細を受け取リました。夜、光にあふれた夢の中で、彼はロンチェン・ラプジェムからカンド・ヤンティクの意味に関する詳しい教えを受け取りました。
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