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ド・キェンツェー・イェシェー・ドルジェの生涯(7)

 1813年、ゾクチェン・リンポチェ四世、ポンロプ三世、ならびに約六十人の者たちとともに、彼はニンティク・ヤプシ、ギュ・チュドゥン、ダムチョ・デチェン・ラムチョク、ならびに数多くの他の教えをドドゥプチェンから受け取りました。シチェン・ラマ・オギェン・ノルブ、レーパ・タムツィク・ドルジェや他の者たちとともに、彼はゲワ・スムキ・ドンティ、マチク・ニェン・ギュ、ならびに他の教えを授かりました。レコンのチャンラン・パルチェン・ナムカ・ジグメ(アカ・トゥプワン)とともに、彼はムンペ・ナルジョル・ヤンティ・ナグポ・セルキ・ドゥチク、ゾクチェン・アティ・サプドン、ならびに他の伝授をドドゥプチェンから授かりました。

 1814年、彼はデゲ宮殿を訪れ、ロンチェン・ニンティクのイニシエーションを授かりました。ツァチュカでは、ともにジグメ・リンパの主要な弟子であるギェルウェ・ニュクとギルン・ラマ・ジグメ・ンゴツァルに会いました。彼はヤルルンに戻った際、ドドゥプチェンからヨンテン・ゾ、タクポ・タルギェン、ならびにイェシェー・ラマの教えを受け取りました。

 1815年、16歳の時、彼はドドゥプチェンの命により、ラマや僧院に供養を捧げるために、およそ百名の者たちとともに中央チベットへ向かいました。ドドゥプチェンは一年以内に戻ってくるようにという指示を与えた後、この旅において果たすべき目標を与えました。それは以下のようなものでした。

(1)ラニャク・ギェルセーから、ハヤグリーヴァと長寿のイニシエーションを受けること。
(2)サムイェーにて十万回のマンダラ供養を行なうこと。
(3)グル・リンポチェに祈るためにチンプーにて七日間の独居修行を行なうこと。
(4)どんな犠牲を払ってでも、サムイェーのコルゾ・リンでは決して障害を引き起こさないこと。
 そして、
(5)聖地チョクポリとの精神的なつながりを築くこと。

 ド・キェンツェーは指示通りにラ・ニャク・ギェルセーに会いに行きましたが、彼は荒ら荒らしい態度を示しました。そのときド・キェンツェーは新参者であり、初めは会うことを許してもらえませんでしたが、ラ・ニャク・ギェルセーのもとへ行くことは師の指示であったので、ド・キェンツェーはハヤグリーヴァのイニシエーションを授けてくれるよう彼に頼み込みました。
 するとギェルセーは、ド・キェンツェの心臓めがけて銃を撃ちました。銃弾は彼を傷つけることなく、ハヤグリーヴァの姿に変わりました。
 また長寿のイニシエーションを求めた際、ギェルセーがパイプの灰とカップに吐いた唾とを混ぜ合わせ、それをド・キェンツェーに与えると、すぐさまそれは純粋な甘露に変わったのでした。

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