yoga school kailas

ドッキネッショルの寺院で信者たちと共に(1)


ラーマクリシュナの福音

「ドッキネッショルの寺院で信者たちと共に」

1883年1月1日(月)

タクル、シュリー・ラーマクリシュナ、ドッキネッショルの寺院で
ラカール、プランクリシュナ、ケダル氏をはじめとする信者たちとともに

 タクル、シュリー・ラーマクリシュナは、カーリー寺院のいつもの部屋に座っておられる。終日、ハリの愛、マーの愛に酔いしれて――。
 朝八時、シュリー・ラーマクリシュナは、床の上に広げてある敷物のところへ行かれて、お座りになった。向かい合っているのは、プランクリシュナと校長である。寒い日だったので、モールスキンのガウンで身を包んでおられた。ラカールも部屋の中にいる。ハズラー先生は部屋の外にある南西向きベランダに腰かけている。
 月曜日の午前八時、黒分の八日目、キリスト歴1883年1月1日。
 タクルの、いわば身内といえる信者たちが、次々と集まって来ていた。ナレンドラ、ラカール、バヴァナート、バララム、校長、バブラム、ラトゥたちが絶えず出入りするようになってから、かれこれ一年前後になる。彼らより半年ほど前から、ラム、マノモハン、スレンドラ、ケダルが通ってきている。
 およそ五か月ほど前になるが、タクル、シュリー・ラーマクリシュナは、ヴィッダシャーゴルのバデュルバガンを訪問された。二か月前にはケシャブ・センの招待で、ヴィジョイをはじめとする信者たちと共に蒸気船にのって、カルカッタまで楽しい船旅をなさった。
 プランクリシュナ・ムコパッダエ氏はカルカッタのシャーマプクル街に住んでいる。出身地はジャナイ村である。株式取引所のボスとして相場の仕事を取り仕切っている人物だ。最初の夫人に子供ができなかったので、夫人同意のもとに第二の妻をめとり、この妻によって一人の息子を得ていた。彼はでっぷりとした体格なので、師はときどき「太ったブラーミン」と呼んでおられた。非常に善良な紳士である。約九か月前にタクルは、彼の屋敷に信者たちと一緒に招待をお受けになった。プランクリシュナは、肉、魚、野菜を使った様々な料理や甘いデザートなどを作って、皆にごちそうした。
 一信者が師にジリピ(カリントウに似た甘いお菓子)を入れた籠を差し上げ、師は、その籠をかたわらに置いておられた。タクルはジリピを少しばかり召し上がりながら、微笑してプランクリシュナたちにおっしゃった。

「ほら、ごらんよ。私はいつもマーの御名を称えているから、こんなおいしいものが来るのだよ。彼女はひょうたんやカボチャなんぞはくださらない。――あのお方は、甘い甘い不死の果実をくださる。つまり、ジュニャーナ、プレーマ、ヴィヴェーカ、ヴァイラーギャだ!」

 部屋の中に6、7歳の子供が入ってきた。すると、タクル、シュリー・ラーマクリシュナは、さっそく子供と同じ様子になられる。ちょうど子供が、もう一人の別の子から食べ物を隠すように――。入ってきた子供に菓子を食べてしまわれないために、全く子供とそっくりな身振りをなさった。タクルはジリピの籠を両掌で隠して、だんだんご自分の近くに引き寄せて、片付けてしまわれた。

 プランクリシュナは一家の主人である。それなのにヴェーダーンタを学んでいて、「ブラフマンのみ真実、この世は錯覚。あのお方こそ自分である」と言っている。師はよく彼に、「カリユガには人の生活は食物に依存している。こういうときはナーラダのようなバクティの道が最も適しているのだ」と言い聞かせておられた。

「形あるものを通さずに形ないものをとらえることなど、誰ができるものか!」

 子供のように手のひらで甘い菓子を隠しながら、そのままタクルはサマーディに入られた。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする