スワミ・トゥリヤーナンダの書簡集(11)
1912年4月8日
カンカルにて
親愛なるテジュナーラーヤン(スワミ・シャルヴァーナンダ)
3月31日付けのあなたの手紙を受け取りました。あなたの活動がうまくいっていると聞いてうれしく思っています。もし人が自己中心的な動機がなく、自分の智慧と内在の主の指示にしたがって心を込めて教えるならば、霊性の指導は良い結果を生み出します。さらに、彼は生徒のレベルまで降りてきて、彼らの質問の意図を理解しようとし、それから彼らの利益となるような方法で答えるべきなのです。
もし霊性の大望を抱く者に神への真の愛があり、彼が主に心をこめて祈るなら、彼には欠けるものは何もありません。全智の主がすべてのことを彼にとって好ましいものにしてくださるでしょう。謙虚さは、自己の向上にとっての大いなる手助けとなります。師はよくこうおっしゃっていました。
「水は低いところにたまるが、それは高い丘から流れてくるのだ。」
あらゆる善は、謙虚な人のところにやってきます。謙虚さは素晴らしい資質であり、そして師はあなたにそれをお授けになりました。わたしは師があなたを通じて多くの素晴らしいことをなさるだろうと信じています。あなたの能力と智慧を最大限に使ってあなたの義務を果たし続け、けっしてその結果は気にしないでください。それらをすべて主の御足のもとに置いてください。彼は善の具現化したものであり、よきこと以外のことはなされないのですから。もし人が神を熱望してやまないならば、道を間違えることを恐れる必要があるでしょうか? 彼がわれわれの人生の北極星なのです。彼は目的地であり、手段であり、そして結果なのです。
本当のところ、あなたが立てた誓いに終わりはありません。主はその始まりに、中間に、そして終わりにいらっしゃいます。彼のほかに避難する場所はないのです。
この誓いの中に――「横になるときは、母なる神に礼拝しているのだと思いなさい。そして眠るときは、彼女を瞑想しているのだと思いなさい。何かを食べるときは、母シャーマーに供物を捧げているのだと思いなさい。」
この誓いの中に――「あなたが耳を通じて聞く音はなんでも母なる神のマントラなのです。なぜなら、母なる神カーリーは本当に文字全体であり、すべての文字の中に住んでおられるからです。」
この誓いの中に――「ラームプラサードは歓喜の中で、母なる神はすべてのものの中にいらっしゃると歌います。通りをブラブラと歩くとき、あなたは母なる神を歩き回ってるのだと思いなさい。」
ひとまず、ここまでにします。このようにして人は誓いを守ります。もし人がそれを心にとどめるなら、彼はもはや見失う危険性はありません。あらゆるものが母なる神なのですから……。
ギーターについてあなたが書いたことは確かにその通りですが、実際にはそうではありません。シュリーダル・スワミはそのようにそれを理解し、それにしたがってギーターに関する解釈を書きました。シャンカラの解釈には圧倒的に多くの智慧が含まれています。彼は世界を超越したので、彼にとってはそれがそのように見えたのです。シュリー・ラーマクリシュナとシャンカラのアドヴァイタ(非二元論)は異なるものではありません。それらは同じもので、ただその活用の仕方において異なるように見えるだけなのです。このことについては、あなたからの詳しい手紙を受け取ったときに、別の手紙の中で書こうと思います。
スワミジの手紙は本当に素晴らしいものでした! わたしはそれを読んでいるときに抱いた気持ちを言い表せる言葉を見つけることができません。それらは無執着の完全なる実例です。夜が近づくと、神の子[スワミジ]は自分の住居に戻ってきました。彼は一日中遊んでいましたが、しかし後にはもうそれを覚えていませんでした。彼は常に母なる神のことを覚えていたので、「母よ、今行きます」というのが彼の態度でした。
愛をこめて
トゥリヤーナンダ
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