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スワミ・トゥリヤーナンダの書簡集(10)


             1912年3月25日
                   カンカル、ラーマクリシュナ・セヴァーシュラマにて

 親愛なるスレシュ(スワミ・ヤティシュワラーナンダ)へ

 3月8日付けのあなたの手紙を受け取りましたが、……さまざまな理由から、早い返事ができませんでした。
 あなたがあなた自身について書いたことがなんであれ、その問題の正しい分析だったと思います。それはあなた自身にとって正しいだけでなく、みなにとっても同じなのです。われわれは規則で自分自身を制限することによって、進歩の道の邪魔をします。もちろん、わたしは規則が全く要らないと言っているわけではありません。規則が必要なときと必要でないときを知ることが大切なのです。

 “ヨーガを会得したいと願う賢者にとっては、結果を求めずに行為をすることが大切である。しかし、すでにヨーガを会得した人にとっては、寂静でいることの方が大切である。”[ギーター、第六章三節]

 われわれは大いに努力して像の中に神を求めますが、しかし、礼拝の後にはその像を沈めます。それは状況の変化にともなう調整の変化のようなものです。しかし、(そのときどきの誠実な判断が正しいかどうか)確かめることが難しいのは間違いのないことです。確かにそのとおりです。もしわれわれが自分自身を完全に主に明け渡すことができるなら、何ごとも後悔する必要はないでしょう。神の恩寵により、すべては無事に収まるでしょう。心配することはありません。神に避難所を求めなさい。神に避難所を求めなさい。

                             わたしの愛をこめて
                             トゥリヤーナンダ

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