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ジャータカ・マーラー(9)「ヴィシュヴァンタラ王子」⑦

 その時、マドリー妃は、嫌な予感のために気落ちしながら、大急ぎで戻りたいと思っていましたが、猛獣に道を妨げられ、大変長い時間がかかって、隠棲処に戻ってきました。しかしどこにも二人の子供の姿が見えないので、彼女はとても意気消沈し、心に動揺を生じ、あちこち見まわしました。しきりに呼びかけても二人の子供の返事がないので、悲嘆に暮れて泣き叫びました。
 そして夫のもとに近づくと、二人の子供の消息を尋ねました。菩薩は、母の心が情にもろいことを知っており、また不快なことは知らせにくいため、彼女に何も言うことができませんでした。
 その時マドリー妃は、涙で口ごもりながら、言いました。
「二人の子の姿は見えないし、あなたは私に何も話さない。悪いことだから話されないのでしょう。私は悲しみに打ちひしがれます。」

 こう言うと、マドリー妃は悲しみのために意識を失いました。まさに地面に倒れようとするマドリー妃を菩薩は抱き止め、草のベッドに寝かせると、冷たい水をかけて意識を呼び覚まし、こう言いました。

「マドリー妃よ。私はあなたに苦悩の言葉を、軽率に話す気にはなれなかったのです。
 老いと貧乏に苦しむブラーフマナが、私のところに来ました。私は二人の子を、彼に布施しました。気を静めてください。嘆かないでください。
 マドリー妃よ。私を見なさい。二人の子を探さないでください。妃よ、悲しまないでください。
 もし乞われるなら、私は自分の生命さえも与えるのです。愛しき人よ。わが子たちを布施したこのことを、どうか是認してください。」

 この言葉を聞くと、子供たちが死んだのではないかと心を悩ましていたマドリー妃は、二人の子が生きていると知って、悲しみと落胆は減少し、涙をぬぐうと、夫にこう言いました。

「愛する子供を布施しても、あなたのお心に全く物惜しみの気持ちがないとは、不思議なことです。まことにこれは、天界の神々でさえも驚嘆すべきことです。
 おそらくそのために、あらゆる方角に神々の鼓の音が聞こえ、大地は震動したのでしょう。天は金色の花々で輝いていました。
 それゆえ、悲しみ・落胆はやめてください。布施したうえは、心を明るくしてください。世間の人々のための、大いなる池となってください。どうかあなたはずっと、素晴らしい布施者であってください。」

 このとき、神々が住むスメール山が震動しました。インドラ神は、これはいったいどうしたことかと思い、それがヴィシュヴァンタラ王子が子供たちを布施したためであると知ると、歓喜と驚きに心も動転しました。そしてインドラ神は、人間のブラーフマナに姿を変えて、ヴィシュヴァンタラのもとへとやってきました。

 菩薩はブラーフマナを迎え入れ、何がお望みですかと尋ねました。するとそのブラーフマナは菩薩に、その妻を乞いました。
「大いなる池にある水のように、善き人たちの中にある布施の法は、干上がることがありません。
 それゆえに私は乞います。女神にも似たあなたの妻を、私に布施してください。」

 こう言われて菩薩は、全く取り乱すこともなく、それを承諾すると、マドリー妃をブラーフマナに渡しました。
 マドリー妃は、夫の本性を知っていたので、夫に対して怒ることはありませんでしたが、しかし今までにない苦悩を感じ、立ち尽くしました。

 そのときインドラ神は、ひどく感心して、菩薩を称賛して言いました。
「正法と非法の間は、限りなくかけ離れている。このような行為がなされたことを信ずることさえ、人格の完成に至らぬ者には不可能であろう。
 愛欲を未だ離れていない人には、最愛の妻子を、執着を捨てて布施するというような、気高いことがどうしてできようか。
 あなたの超人的なこの行ないに、鬼神も、音楽神も、私インドラを含む三十三天の神々も、大変喜んでいる。」

 こう言うと、インドラ神はその光り輝く正体をあらわして、さらに菩薩に言いました。

「私はインドラである。マドリー妃はあなたにお返ししよう。月を離れては、月の光は存在することはできないから。
 また、二人の子との別離も憂慮するなかれ。間もなくあなたの父上は、二人の子とともにやってきて、あなたを主君として迎え入れるであろう。」

 こう言うと、インドラ神は姿を消しました。
 
 そしてインドラ神は神通力によって、ブラーフマナが連れ去った二人の子を、シビ国に連れ戻しました。そしてシビ国の王サンジャヤとその国民たちは、ヴィシュヴァンタラ王子を再び国に連れ戻して、王位につかせたのでした。

 このように、菩薩行は極めて希有な行為であり、迷妄に沈む世間の人々には、まことに理解されがたいこともあります。
 しかし理解できないからといって、決して菩薩行を軽蔑したり、菩薩行に憧れる人を妨害してはなりません。
 このような菩薩の生きざまを何度も学び、その深い意味を理解し、敬い、讃嘆すべきなのです。 

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