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ジャータカ・マーラー(5)「不屈長者」

ジャータカ・マーラー 第五話

「不屈長者」

 世尊がかつて菩薩であったとき、ある長者として生まれました。彼は布施、戒、良い家柄、聖典の知識、謙虚さ等の徳を具足していました。

 彼はその膨大な富を使ってとどまることのない布施を長期にわたってなし、世間の利益のために活動していました。そして物惜しみやむさぼり等の悪い要素に屈しないので、アヴィシャフヤ(不屈の人)と呼ばれていました。

 物乞いたちにとって第一の喜びは彼にまみえることであり、彼にとって第一の喜びは物乞いたちにまみえることでした。

 何かを要求されて、それを与えないということが彼にはできませんでした。大いなる慈悲心があり、財産への執着は全くありませんでした。

 要求されて、家の中の大切なものを施すことになった時にも、彼の中には一層大きな歓喜が生じるだけでした。

 この偉大なる魂の高貴なる布施の実践を聞き、驚いたインドラ神は、彼の布施の決意の固さを知りたいと思い、彼の財物のあれこれを、少しずつ消失させました。これによって彼の心に物惜しみの気持ちが出るかどうか確かめたのです。
 しかし財物がどんどん消えていっても、長者の布施の心は衰えることがありませんでした。
 そこでますます驚いたインドラ神は、ある夜、ついに長者の素晴らしい財産のすべてを、一本と縄と一本の鎌を除いて、すべて消失させてしまいました。

 さて菩薩は、朝になり目を覚ますと、すべての財物・穀物・従者・財産は消え失せ、住居には物音ひとつせずさびしく、縄一本と鎌ひとつだけが残されているのを見ました。そこで彼はこう考えました。

「これはもしかして、誰かある人々が、施しを乞う言葉に慣れていないために、何も言わずにすべてを持ち去ったのであろうか。もしそうだとしたら、私の財産がこのように役立って、うれしいものだ。
 しかし私は財産がもう何もなくなってしまったので、誰かが私に物乞いに来ても、もはや何も施すことができない。ここに私の心は痛む。」

 そこで偉大なる魂は、その縄と鎌を使って草刈りをなし、その草を売ることによって得たお金によって、できる限りの布施を続けました。

 そのときインドラ神は、彼が貧困の極みにあっても気落ちすることなく布施に専念しているのを知り、自らの稀有なる姿を現わして空中にとどまると、偉大なる魂に向って告げました。

「長者よ。あなたは過度の布施によって、このような状況に陥ってしまった。
 それゆえに、あなたのためを思えばこそ、私はあなたに告げる。布施に専念することに執着するのはやめよ。布施をやめれば、再び以前のような金持ちに戻るであろう。」

 それを聞いて菩薩は、インドラ神に答えて言いました。

「聖者はたとえ非常に貧困であっても、いやしく劣ったことをなすことはできないものです。
 インドラ神よ。私には財産は必要ありません。私は貧窮を望む者でありたい。
 苦しむ物乞いたちの顔を喜ばせないことは、私にはできないのです。
 物惜しみの心を増大させようとする者、あるいは布施の心の邪魔をするような者は、私にとっては捨てるに値します。それは守護を偽装していても、障害ですから。
 財物は稲妻の如くはかなく、多くの障害の因です。
 これに対して布施は、もろもろの幸福を生み出す因です。
 だから聖人であれば、誰が物惜しみに執着することがありましょうか。
 インドラ神よ。あなたは今、私に好意を示してくださっています。そのご忠告を有り難くお受けします。しかし、私の心は、もろもろの布施によって習慣づけられた全き喜びを伴っています。それゆえに、私が誤った道を選ぶことはありません。」

 インドラ神は言いました。

「長者よ。豊かな財産を持っているときは、布施もよいだろう。しかし今、あなたのような状態に陥っている者が、これ以上布施をするべきではない。
 まずはもろもろの職業について、自己の富を増大させることに努めなさい。そのあとでその財産を布施に使おうが、快楽に使おうが、誰にも非難されることはないであろう。しかしあなたのようにただひたすら布施をしたい思いのみでは、破滅に至るであろう。 
 それゆえに、布施をしたいという思いはしばらく捨てて、財産を増やすべきである。財産が無いときにあなたが布施をしなかったとしても、あなたに何の悪があろうか。」

 菩薩は言いました。

「あなたはそのようなことを私に強要しないでください。
 自分の繁栄などは省みずに、布施をすべきである。もろもろの布施によって愛着の心が征服された時の満足の喜びは、大いなる財産をもってしても得ることはできない。
 ただ財産を蓄えても、人は天界に至ることはできない。布施によってこそ人は天に至るのである。
 しかし私は、天に至ることを望んでいるのでもない。世間の人々の苦しみを救うために、自己そのものさえも与えたいと思っているのです。他人のもろもろの苦しみへの慈悲ゆえに、自己の安楽を享受することはできないのです。このような私にとって、あなたが得ているような天の楽しみは、何の役にも立ちません。
 もし私が再び多くの財産を得るなら、それによって多くの布施ができることだろう。しかし今の状態でも、ある限りの財産を私は布施し続けるだろう。インドラ神よ。私は決して、布施の誓いを怠ることはないのです。」

 このように菩薩が言ったとき、インドラ神は敬信の心を生じさせ、「素晴らしいことだ、素晴らしいことだ」と言って、菩薩の言ったことに同意すると、敬愛を込めつつ、次のように語りました。

「人々は自己の幸福に執着するが故に、罪過を顧みることなく、軽薄な心で迷いつつ、下劣で凶悪な、もろもろの手段によって財産を追求する。
 しかしあなたは、財物の滅することも、自己の幸福の失われることも、そして私が発した欺瞞の言葉も顧みずに、他人の利益の成就をしっかりと心に抱いて、自己の完成の偉大さを証明した。
 ああ、実に、偉大なる輝きを有する心には、物惜しみや愛著の暗黒は拭い去られている。たとえ財産がなくなろうとも、布施から尻込みする醜さに至ることはなかった。
 あなたが慈悲の心から他人の苦しみを自己の苦しみとし、世間の人々の利益を求める時、ヒマラヤが風に揺らぐことのないように、あなたは布施において揺らぐことはない。
 あなたはもろもろの布施の雨を降らせよ。私が守護するが故に、今後はあなたはいくら布施を続けても、財産が尽きることはないだろう。
 そして私の今までの不敬なふるまいは、許してください。あなたの財産を私が隠したのは、あなたを試すことによって、あなたの名声を高めるためだったのです。」

 このように菩薩を称賛すると、インドラ神は彼の財産を元通りにして、許しを乞うてから、その場から消えました。

 このように、素晴らしき魂は、自己の繁栄を望んだり、財産の消滅を恐れるが為に、布施をやめたりすることは決してないのです。

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