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ジグメ・リンパの生涯(7)

 まだ他者に教えるべき時期が来ていなかったので、彼は発見した一切の教えを7年間秘密にしていました。また、まずはテルトンである自分自身がその教えを修行しなければなりませんでした。

 彼は隠者的なヨーギーの生活を続けていたにもかかわらず、彼に対する尊敬と信が人々の間で自発的に高まり、そして彼が身につけようと努力する必要なく4つの行いの力を完成させたとき、多くの人々に利益をもたらす源となりました。

 31歳の時、彼はサムイェ近くのチンプーで2度目の独居修行を始めました。まず、彼は上ニャン洞穴の名で知られている洞穴で独居修行を始めました。その後、別の洞穴を発見し、それをサンチェン・メトク洞穴または下ニャン洞穴としましたが、そこはティソン・デツェン王がニャンからニンティクの教えを受け取り、瞑想した場所でした。残りの独居修行期間、彼はサンチェン洞穴で過ごしました。

 チンプーでの独居修行のあいだ、ゾクチェンの最高の悟りがジグメ・リンパの中で目覚め、その覚醒はロンチェン・ラプジャム(1308-1363)の智慧の身体の3つのヴィジョン、つまりダルマカーヤの純粋な顕現によってもたらされました。上ニャン洞穴において彼は最初のヴィジョンを目にし、その中でロンチェン・ラプジャムのヴァジュラカーヤの祝福を受け取りました。ジグメ・リンパは、ロンチェン・ラプジャムの教えの言葉と意味の両方の伝授を受け取りました。
 サンチェン・プク(大いなる神聖な洞穴)に移った後、彼は2番目と3番目のヴィジョンを目にしました。2番目のヴィジョンの中で、ロンチェン・ラプジャムの言葉の祝福を受け取り、それによって彼はロンチェン・ラプジャムの深遠な教えをその代理人として支え、伝えるためのイニシエーションを授かりました。
 3番目のヴィジョンの中でジグメ・リンパは、ロンチェン・ラプジャムの智慧の心の祝福を受け取り、それによって、ロンチェン・ラプジャムの生来的な悟りの意識という言い表せない力が目覚め、伝えられました。

 今やジグメ・リンパにとって、言い表すべき対象(対象的な言及点)がないため、一切の外的な現れはその境界線を失いました。瞑想または求めるべき瞑想状態という分離はありませんでした。彼の内的な心には主観性を表すものがないため、一切のものは、ありのままに自由で、一体性の中で完全に開放されました。彼は、クンキェン・シャルンやいくつか他の書物を通じて、彼の智慧の心の中で目覚めたロンチェン・ラプジェムの『七つの宝蔵』の真の意味を書き記しました。彼は、隠遁修行に専念する法友たちに、様々な状況における智慧の力をヴァジュラの歌で表わしました。

「心の本性は、開放された空間のようであるが、
 それは智慧を有しているので、超然としている。

 輝ける透明性は、太陽や月のようであるが、
 どんな実体もないので、超然としている。

 生来的な覚醒は、水晶球のようであるが、
 どんな妨げも覆いもないので、超然としている。」

「息子よ、心を観察する心は
 生来的な本性の覚醒ではない。
 だから、今という心の中に、
 修正も迷いもなく、ただあるがままにとどまりなさい。

 息子よ、記憶によってどんなことを理解しても、
 それには瞑想という決定的な技術が欠けている。
 だから、生来的な覚醒というあるがままで生き生きとした状態の中に、
 どんな理解もなくとどまりなさい。
   
 息子よ、人びとは、一点集中して心にとどまることを瞑想と考えているが、
 しかし、それには寂静と正観の合一が欠けている。
 だから、心にとどまることや投影することに対する受容も拒絶もなく、 
 何も言い表すことなく(どんな言及点もなく)、生来的な覚醒を自由にさせなさい。」

 
「息子よ、堅固で明快で、かつ安定した観想は、
 [完全なる]マハーヨーガではない。
 [神々の]顔や腕をしっかりつかんだ心を溶解させ、
 広大さ、つまり生来的な覚醒と空性が同一化した偉大なる完全性の中にとどまりなさい。
   
 息子よ、4つの喜びの経験にとらわれることは、
 [完全なる]アヌヨーガではない。
 心とエネルギーを中央気道に流入させ、
 至福と空性の合一、思考からの大いなる解放にとどまりなさい。
   
 息子よ、単に3つのカーヤの自発的な成就を理解することは、
 究極的なアヌヨーガではない。
 ヴァジュラの鎖の正観の本性の中で、
 心を分析するという過ちを崩壊させなさい。」

「病は、悪しき行ないを一掃する箒である。
 病を教師と見なし、それらに祈りを捧げなさい。
 病は、成就者たちや三宝の恩寵により、あなたのもとにやって来る。
 病はあなたの成就であり、それらを神々として礼拝しなさい。
 病は、あなたの悪しきカルマが使い果たされているサインである。
 病という顔を見ずに、病んでいるその人[その心]を見なさい。
 病をあなたの心の上に置かずに、ありのままの生来的な覚醒を病の上に置きなさい。
 これが、病がダルマカーヤとして生起する教えである。

 肉体には生命はなく、心は空性である。
 いったい何が、生命のない物体に苦しみを引き起こし、
 空性に危害を加えるというのか? 
 病の出どころを探索しなさい。
 そしてそこへ行き、そこにとどまりなさい。 
 そのような思考が消え去ると、病もまた溶解する。
 病こそが、悪しきカルマを燃やし尽す最良の燃料である。
 [病に対する]悲しみの心や否定的な見方を慰めようとせず、
 それらを、あなたの悪しきカルマを警告するサインと見なし、
 それらを喜びなさい。」

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