yoga school kailas

救い

 仏教でもヨーガ(ヒンドゥー教)でも、修行の要目は、放棄である。
 自己の煩悩、エゴ、執着、観念、これらすべてを放棄しなければ、修行の成就はない。
 原始仏教、原始ヨーガ、あるいは小乗仏教などでは、これらの煩悩一つ一つと戦い、分析し、捨て去っていく。
 しかし、このやり方だけですべての煩悩や執着を壊滅させるのは、非常に難しい。
 特に現代のような時代では、このやり方は不可能に近い。

 バクティヨーガは、神への愛を強烈に強めることによってこれを解決する。
 本当に神にすべての愛が集中し、神しか見えなくなったとき、他のすべての執着は、努力せずとも自然に脱落するのだ。

 菩薩道は、衆生への愛の修習によってこれを成就する。
 自分の幸福をあきらめ、他者の幸福のためだけに生きるという決意(発願)によって、エゴや執着はおのずと落ちていく。

 高度なバクティヨーガは、菩薩道も包含する。なぜなら彼にとっては、この世に神以外のものはいないからだ。

 よってバクティヨーガと菩薩道は、この暗黒の時代(カリユガ)の救いであり、灯明であり、鍵である。この教えに出合え、また信を持ち、実践できる人は、本当に恵まれている。

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