シュリー・チャイタニヤ・マハープラブ(10)
【ラーダーのムード】
ヴィシュヌ派の学者達は、チャイタニヤの一つの身体にラーダーとクリシュナが顕現していたと主張しています。ヴリンダーヴァンでは、ラーダーは様々な愛のかたちのクリシュナの歓喜を味わっていました。ラーダーの歓喜を自らも体験したいと感じたクリシュナがそれを実現するために、二つの人格を有するチャイタニヤが誕生しました。そのためチャイタニヤはあるムードの中でクリシュナになり、また別のムードではラーダーになることができました。
それまでのニマイには、バクティの施与者でありすべての擁護者であるクリシュナが頻繁に顕れていましたが、彼が24歳になる頃から、ラーダーのムードが多く顕れ始めました。自分自身を例として、彼はプレーマ(神への忘我の愛)を説こうとしていました。愛人としてのラーダーの強烈で親密なクリシュナへの愛は、彼自身が例となって説明されました。これが彼のラーダームードの覚醒の意義であったといわれています。
イーシュワル・プリーのイニシエーションを受けてガヤーから戻ってきたときから、このムードの前兆として、精神障害と混乱が頻発していました。その後、これらは部分的に治まるようになり、ニマイはこのような状態のコントロールを取り戻しました。
今や彼はラーダーのムードの中で切望のため息をつき、別離に苦悶し気絶しそうな様子で顕現し始め、加えて、ナヴァディープを離れ、唯一クリシュナに会えるヴリンダーヴァンへ行きたいと言い始めました。これはニマイの兄のように、苦行者となるために、家や生活、母や妻、友人や信者達を捨てることを意味していました。
また、親類や自らの資産、彼の批評家であるナディアの垢抜けたブラーフマナパンディット達と共にパンディット・ニマイとして留まっている限り、彼が伝道した新教義の確信は得られず、みずからが苦行者にならない限り人生の目的は果たされないだろうという思いがニマイの中にありました。
これを察知した信者達は、最善を尽くしてニマイを思い留まらせようとしました。
ニマイにとって最大のハードルは、母親のサチと妻のヴィシュヌプリヤーでした。非常な説得力と巧妙なアピールで、二人の大変不本意な承諾を得たニマイは、1510年1月、ナヴァディープが静けさに包まれたある夜、静かに家を出て、誰にも追跡されないよう泳いで川を渡り、16マイル離れたカトヴァまで走りました。
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