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シュリーラーマチャリタマーナサ(6)「名号の力」

「名号の力」

 わたしはラグ族の主ラーマ様のご名号を礼拝賛嘆する。クルシャヌ(火)、バヌ(日)、ヒムカル(月)には、それぞれ<ラ>、<ア>、<ム>の音が、種子の形で含まれる。ラーマという名は同時に、創造神ブラフマン、守護神ヴィシュヌ、破壊神シヴァの別名でもある。さらに、ラーマの名号は聖経ヴェーダの真髄であり、属性を離れ比喩を超絶した、宇宙の理法、真善美の宝庫でもある。

 大神シヴァ様は愁久の昔から、ラーマ称名を常に唱えつづけておられる。シヴァ様の説法が聖都ヴァラナシで解脱の橋渡しをするのはその功徳による。祈禱のはじめにガネーシャ様の御名が必ず唱えられるのは、ガネーシャ様がどの神にもましてラーマ称名の真の精神に通暁しておられるからにほかならない。

 “マーラ”“マーラ”と逆に発音しながら、ついに魂の純化を得た始祖詩人ヴァールミーキー様は、ラーマ称名に含まれる不思議な力を誰よりも熟知していた。

「一回のラーマ称名は、千回の祭祀祈祷にもまさる」
というシヴァ様の御教えを信じて、パールヴァティ女神は今も昔もラーマ称名に余念がない。貞女の鑑としてシヴァ様が女神を受け入れて、ご自分の半身とされたのは、その純粋なラーマ称名への愛情を愛でられたからである。シヴァ神はまた、ラーマ称名の功徳に助けられて、猛毒のなかから不死の良薬アムリタを生み出すという奇跡も成し遂げられた。

 トゥルシーダースは言う。

「ラーマ信仰は、雨季の季節に似る。ラーマ様にお仕えする善男善女は、実り豊かな稲穂に見たてられる。ラーマという美しい二文字は、年中で最も雨の多い、恵み豊富なサーヴァナとバードの月に相当する。」

 デーヴァナーガリーの各音を身体に見立てるならば、“RA”と“M”の両文字は優美で秀麗な二つの眼目に相当する。“RA”も“M”も、ともに信者の生命の根源である。“RA”と“M”は、憶念するだけでも、現世と来世に素晴らしい福徳をもたらす。生前だけでなく死後もまた、天上界で霊体として神に仕えることになるのである。この両文字は、語り、聞き、念ずるだけで、人々を甘美な気持ちに誘う。“RA”と“M”の二文字を切り離すとき、魅力は半減する。語源を辿れば、発声、意味、字形に違いが認められるが、両者は造物主と生命体のように、本来一相一如でなければならない。ラーマ様とラクシュマナ様が、トゥルシーダースにとって全く同等に愛しいのと同じ理屈である。

 “RA”と“M”はまた、ヴィシュヌ神の化身、ナラとナーラーヤナにも似て、好一対の兄弟である。ともに世界を保護し、特に弱者を救済する護り神である。ラーマ信者を美女に見立てるなら、“RA”と“M”は両耳につけられた綺麗な耳飾りで、その光輝は幸せな光明で世界を包む月と太陽に相当する。

 またこの両文字は不死の甘露アムリタを服用したあとの名伏しがたい爽快感と充満感、大地を支える神亀と龍王の安定感を表象するものである。信者の浄らかな心を蓮華に見立てれば、その周りを飛翔する一対の大黒蜂に相当する。この両文字を発声するときの舌をクリシュナ神の母君ヤショーダー様に例えれば、それはまさにクリシュナとバララーマの無比の兄弟である。ともに母に最高の法楽を与える、無類の福子である。

 トゥルシーダースは言う。

「ラーマ様のお名前を形成する両文字は、常に神々しい霊光を伴う。“RA”は文中で傘の形となり、“M”は宝冠の形となって、あらゆる梵字の上端に位置する。」

 名前と本体は、もともと同一のものでありながら、両人には主人と下男のような深い愛情関係がある。主人のあとに下男がつき従うように、名前の赴くところ必ず本体がついてまわる。主神ラーマ様も、いつでもラーマという名号のあとにつき従われる。名号を称えればすぐにそこに現れられる。名号も神の化身も、それぞれ神の表現であることに変わりはない。神の名号もご本体も、玄妙不可思議、人知には及びがたく言葉には尽くしがたい。ともに広大無辺、永遠不滅である。純良な智見の持ち主だけが、神のいのちに触れることができる。

 名号とご本体の大小貴賎を論ずるのは、神に対する冒瀆である。両者の功徳の大小多宴を聞いて、心浄き人は自ら判断されるよう願う。体が名の支配下にあることはわかる。名がなくては体を知ることもできない。どんな特殊なものでも名を知らないかぎり、たとえ掌中に握りしめたとしても体の本質を知ることは不可能である。反面、目の前に体はなくても名を憶念するとき、自然な愛情とともに体がおのずと心に姿を現す。名と体の関係はとても言葉では説明ができない。理解する者には福徳があるが、それは言語による説明の粋を超える。名は抽象性と具象性の中間に立つ最良の見証者である。両者を適正な言葉でつなぎ合わせる巧みな通訳者である。

 トゥルシーダースは言う。

「もしあなたが内面も外面もともに輝きたいと願うなら、唇を戸、舌を敷居に仕立てて、その敷居の上に、ラーマ称名という真珠の輝きを放つ不滅の灯明をともしておくがよい。」

 愛欲名利を超脱し、創造神ブラフマー様の創造された俗界から脱出して悟境に遊ぶ聖仙たちは、ひたすら称名を口ずさみながら、名と体を超えた比類を絶する名伏しがたい、無病息災、至福安穏の天界の法楽を享受する。深妙不可解な神の本質とその功徳を探求する求道者たちは、称名三昧のちに真理を吾得する。俗世の栄達を求める野心家は、信心の炎を燃やし、称名を口ずさんで、八段階の道のうちの初歩の行法を実践して目的を達成する。

 危害を受けて傷ついた信者が、一言でも御名を唱えるとき、重苦しい恐怖を立ち所に消散して福運が得られる。世間には四種類のラーマ信者がいる。それぞれに心浄らかで、罪を厭い慈愛心に富む人たちである。一は名利財産を求めて称名する者、二は恐怖や苦痛を避けるために称名する者、三は神を学理的に究明したいと願って称名する者、四は神の本質を悟得して、報恩感謝の念に駆られて称名する者である。

 以上、四種の心正しい人たちは、いずれも称名を信仰の基盤にする。なかでも、神の本質を悟得しようと努力する知者は、特に神に愛せられる。宇宙には、真理の時代サティヤユガ、神々の時代トレータユガ、形式模倣の時代ドワパラユガ、暗黒の時代カリユガという四時劫と、讃誦明論、祭祀智論、歌詠明論、穣災明論と名づける四論がある。そのいずれにおいても称名の功徳は大きいが、特に世の終末期、暗黒の時代カリユガにおいては、称名以外に頼るべきものはなにもない。称名を不死の良薬アムリタの池に例えれば、世俗の名利はむろんのこと解脱位への憧れさえも放擲して、専らラーマ信仰の真髄に没頭しようと願う篤信者は、その池のなかに浸りながら日がな一日、無心に泳ぎ回る魚に似る。池を離れようなどとは片時も考えない。大宇宙の根本原理ブラフマンは有形と無形、具象性と抽象性の両面を持つ。辺際がなく、上限も下限もなく、始めも終わりもなくて、人間の思惟、言語による説明、比喩の範疇を超える。ところが、称名の力は有形無形、具象性抽象性をも超えて、さらに偉大である。称名は両者を含め合わせ、宇宙の根本原理ブラフマンをも自己の傘下におさめてしまう。善良なる諸兄姉よ! これを聞いて、トゥルシーダースごとき奴僕の不遜の言葉、無益なたわ言ときめつけないでほしい。わたしは自分なりの信念、知見、愛に基づいて話をすすめている。

 絶対原理ブラフマンにおける有形無形、具象性抽象性の理念は、火を例にして考えれば分かりやすい。抽象無形は木の内面にこもって未だ表面には出て来ない火の原理である。目で見ることはできないが、確かに存在する。これに比して具象有形は、現実に目の前で燃えさかる火に相当する。両者は本質的には同じものなのである。厳密に分けて考えることは極めて難しい。単に、“現れたもの”と“現れざるもの”の違いから、異なるもののように見えるだけである。

 この両者を統一調和させる力を持つものは、神の御名、つまり称名のみである。わたしが抽象無形の宇宙の根本原理ブラフマンよりも称名の力が偉大だと考えるのは、この理由に基づく。大宇宙の根本原理であるブラフマンは、広大無辺、唯一無二、常住不滅、宇宙に遍満する理法、力、知性、歓喜などの原理である。このような永久不変、完全無欠の絶対原理の懐に抱かれながら、世界の一切生類は弱く、貧しく、苦しみに喘いでいる。生類が称名の計り知れない力を認め、その本質、威力、秘密、功徳を正しく理解し、信じて実践するとき、つまり熟誠をこめて称名するとき、宝石がその本質を知る人の前で真価を発揮するように、大宇宙の根本原理ブラフマンが神々しい神の荘厳の相を生きとし生けるものの前にはっきりと現す。

 無形抽象の宇宙原理ブラフマンより、称名の威力が格段に大きいことは明らかだが、わたしはここで称名は神の化身ラーマ様ご自身よりも、さらに偉大であるという自説をつけ加える。かつてラーマ様は信じる者たちの幸せのために人間界に下生して、数々の苦難を忍びながら縁ある衆生に法悦を授けられた。そのお陰で、末世の信者たちは愛とともに御名を称えるだけで、苦もなく喜悦と福運に恵まれる。

 ラーマ様は呪いによって石に変えられた女苦行者アハーリヤーを悟りの彼岸に導かれたが、称名は何千万人もの悪人の魂を純化した。ラーマ様は聖者ヴィシュヴァーミトラ仙人を護るために、天女の娘で魔界に堕落したタタカの軍勢をその子スバーフを含めて皆殺しにされた。一方、称名はさながら陽の光が夜の闇を破るように、信者の罪障、苦悩、悪謀などをやすやすと消滅させる。ラーマ様はけっして壊れることがないといわれたシヴァ神の弓を、弓の祭祀の場で破壊されたが、称名の威力は全世界のあらゆる恐怖や苦悩を瞬時に破壊する。

 主ラーマ様は毒気の充満する刑苦の森を麗しい楽園に造り変えられたが、称名は無数の人々の心を清蓮華のように浄めあげる。ラーマ様は悪魔の軍団をことごとく殲滅されたが、称名は末世の罪障をすべて消滅させる。

 ラーマ様は、猿の王スグリーヴァ、大鷲ジャターユなど献身的な奉仕者に解脱を授けて魂を解放されたが、称名は数知れない悪人を済度して自由を与える。称名の功徳については、ヴェーダ教典にも繰り返し説かれている。ラーマ様がスグリーヴァと魔王ヴィビーシャナの罪を許して庇護されたことは周知であるが、称名の功徳によって救われた貪民は数が知れない。このような称名の功徳の偉大さについては、世間でもヴェーダ経典でも特に強調されている。

 ラーマ様は猿と熊の軍勢を傘下に集めて、大変な苦労の末に海に橋を架けられた。それに比べて、称名は一声称えるだけで生死の苦海が立ち所に良道に変わる。 さて、善良な諸兄姉よ! ここで、ラーマ様ご自身と、ラーマ様のご名号のどちらが偉大であるか? 自ら考えてほしい。

 ラーマ様は悪魔の総大将ラーヴァナをその一族を含めて戦場で破り、お妃シーター様を奪い返してアヨーディヤーの都に凱旋された。
 ラーマ様はめでたく王位に就かれ、アワドが王都になった。天人も聖人も、口を極めてラーマ様のご威光を誉め讃える。一方、末世の信者は愛をこめて一声に御名を称えるだけで、御しがたい煩悩の炎も苦もなく鎮めて、無上の愉悦に浸りながら、法楽の花園を気ままに散策する。称名の功徳に守られて、彼らは夢のなかでさえ不安を感ずることがない。

 称名はこのように大宇宙の根本原理ブラフマンにもまさり、ブラフマンが下生して人身を示現した神の化身ラーマ様にもまして偉大な力を持つ。称名は衆生に恩寵を授ける諸天善神よりも豊かな恵みを施す大施主である。そのことを理解しておられたシヴァ様は、十億ものラーマ神王をご功業のなかから精髄を抽出する形で、“ラーマ”という称名を創造された。称名の威力でシヴァ様は不滅となられ、火葬場の灰を身に塗るという不吉な装いながらも、吉祥の宝庫とたたえられるに至った。シュカデーヴァ、サナカなどという達職者、行者、聖者は、称名の功徳によって、ヴィシュヌ、シヴァの両面から愛される。ラーマ様の御名を一心に称えて、魔神プラハラードは神の恩寵を受け、信者のなかの珠玉と崇め称えられる身となった。ドルヴァ様は継母のいじめに耐えかねて、救いを求めて神の御名を称えた。その功徳で北極星となり、不動の天国の座を得た。神猿ハヌマーンは聖なる神の名を念じて、ラーマ様の心をとりこにした。罪深いブラーミン僧のアジャミール、悪魔ガジ、娼婦ガニカも、神の御名を唱えて死の直前に解脱を得た。称名の功徳はいくら説いても説き尽くすことはできない。ラーマ様の智力をもってしてさえも、説き尽くすことは不可能である。

 末世においては、ラーマ称名は望みのものをすべて与える神樹カルパブルクシャの働きをする。信者の心にとっては、幸せの庭、救いの家となる。一茎の大麻にも劣る取るに足らぬトゥルシーダースも、御名を念ずるだけで聖樹トゥルシーにもまして貴いものに変わる。末世だけとは限らない。四劫(サティヤユガ=真理の劫、トレータユガ=神々の劫、ドワパラユガ=形式模倣の劫、カリユガ=末世暗黒の劫)、三世(過去、現在、未来)、三界(天界、地界、下界)をとおして、生あるものはみな最終的に称名を称えて苦悩から解放される。古来、ヴェーダ経典、古書、聖賢は、善行の報酬について、「総じて、ラーマ様ご自身およびラーマ様の名号への親愛に如くものはない」と説く。

 宇宙の第一期真理の時代には瞑想三昧、第二期神々の時代には祭式三昧、第三期形式模倣の時代には礼拝三昧で、神は満足して信者の愛を受け入れられる。ところが、第四期末世暗黒の時代になると、宇宙にはただただ重く暗い罪悪と汚辱の海が広がるばかりである。末世の罪障の海のただなかにあって、生類は無力な魚となって泳ぐしか術がない。汚辱の海からひとときも出られない。末世には、瞑想三昧、祭式三昧、礼拝三昧、といった行願はいっさい力を発揮し得ないのである。

 恐るべき末世の罪業の海のなかにあっては、神の御名だけが頼りである。末世における称名の威力は、念ずるだけで身を縛る鎖がばらばらにほどける如意宝珠カルパタルに劣らない。功徳は願いごとをすべてかなえる宝樹カルパブルクシャにまさる。末世に称名を唱える者は、今生では父母の恩愛を一身に受け、死後は天国に生まれる。真理、信仰、知性がすべて絶え果てる末世においては、ラーマ称名だけが唯一の拠り所となる。末世には欺瞞が横行して、正道を妨げる足枷手枷となる。それを叩き壊す力がラーマ称名であり、知勇兼備の神猿ハヌマーンの神通力に比せられる。ラーマ様の御名は半人半獅子神のナラシンハ様に相当し、末世の罪業はヴィシュヌ神に敵対する大魔王ヒラニヤカシプに擬せられる。称名一筋の信者の集団は、悪魔の身でありながらヴィシュヌ神の帰依者となった、ヒラニヤカシプの子プラフラーダにみたてられる。ラーマ様の御名は、末世の罪障を一掃して、称名する信者を保護して彼岸に導く。愛念をこめてであれ、敵意むき出しであれ、ラーマ様の御名を唱えれば、尽十方至るところに幸せが満ちあふれる。その類のない招福勧善のラーマ称名を口ずさみながら、わたしはいまラグ族の主ラーマ様の御足にうややしく頭を垂れて、話を続ける。

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