サラハの「人々のためのドーハー」(6)
全世界は、言葉によって苦しめられている。
そして誰も、言葉なしではいられない。
しかし、言葉から自由にならない限り、
真に言葉を理解することはできない。
あることとないことが同じであることは
14番目のステージで、堅固に確立される。
身体がないことは、身体があることの中に隠されている。
これを知る者は、そこにいながらにして解放されている。
かつて私は、多くの経典を暗誦した。
しかし今私は、「忘れ薬」を飲んで、それらを忘れよう。
今私は、たった一つの言葉だけを知っている。
それは、おお、友よ、「私は名前を知らない」というものだ。
今この瞬間を抱きしめる者は、大いなる至福を勝ち取る。
すべては彼自身の本性であることを理解しないのは誰か?
彼は、蜃気楼を水と見間違えて走る、喉の渇いた鹿のようだ。
彼は渇きで死ぬだろう。どうやって彼が神の甘露を得ることができようか。
五蘊、五大元素、十二処、六処、
人々が作り上げてきたこれらさまざまな理論は、蜃気楼の水である。
全く新しいこのドーハーにおいては、何も隠されるものはない。
学者の方々よ、私に怒りを発するな。
ここにおいて、躊躇することはない。
私が私のグルから聞いたこの真理を
なぜ私は秘密にしなければならないというのか?
蓮華とヴァジュラの間で生じる、至高の歓喜
それは、すべての者に至福を与える。
三界において、かなわぬものはない。
この瞬間は智慧と方便の至福であり、
功徳とグルの恩寵によって、わずかな人々にのみ知られている。
それは深遠であり、それは広大である。
それは自己でもなければ他でもない。
おお、この自己の経験を知れ。
第四の瞬間における、生来の自己の経験を!
ちょうど、雲間から現れた月の光が、闇を取り除くように
この至高なる至福は、一瞬にしてすべてのけがれを取り除く。
苦しみの太陽が沈むとき、
星たちの王である、この至福の月が昇る。
それは無限の創造力で創造し続け、
曼荼羅の輪に近づいていく。
思考を思考であると見よ、おお、無智なる者よ、そしてすべての誤った見解から立ち去れ。
至高なる至福の中で浄化せよ。
ここに最終的な完成がある。
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