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マノモハン・ミトラの生涯(終)

 プリのジャガンナート寺院で、マノモハンはジャガンナート神の祭壇にシュリー・ラーマクリシュナのヴィジョンを見ました。この経験は彼の魂を引き上げ、妻の死によって引き起こされた地上の嘆きや痛みを超越した境地に彼を留まらせました。

 この出来事のあと、マノモハンはカルカッタに戻り、師について話したり、神聖な講話をして日々を過ごしました。

 彼はまた、分与された師の遺骨が祀られているラームのリトリートハウス、ヨゴディヤーナの経営を手伝いました。

 彼は夜間は瞑想に長い時間を費やしましたが、早朝には、師の御足によって祝福され神聖化した信者たちの家を訪れるために出かけていき、それから、ガンジス河に沐浴をしに行きました。彼はこのとき大抵の場合、多くのヴィジョンを見、恍惚状態に浸りました。

 ある日彼は、カンクルガチのヨゴディヤーナの聖廟の中でシュリー・ラーマクリシュナが笑っていらっしゃるヴィジョンを見て、圧倒されました。

 あるときは、彼は瞑想の中で、幸運の女神としてホーリーマザーを見ました。

 他の日にコンナガルの通りを歩いていると、彼は青い空の中に白い鶴の群れがゆっくりと消えていくのを見ました。彼の心は、空間と時を超えて無限なるものへと舞い上がり、彼は外界の意識を失いました。彼の隣人たちが、彼を家まで運びました。

 マノモハンは激しい愛と尊敬を、シュリー・ラーマクリシュナの出家した弟子たちに抱いていました。
 スワミ・ヴィヴェーカーナンダがお亡くなりになったことを聞いたとき、彼は胸が張り裂けそうになり、どういうわけか彼自身も、もはや自分の命はもうそれほど長くはないと感じました。

 1903年、ベルル・マトでスワミ・ヴィヴェーカーナンダの最初の生誕祭に出席して帰宅した後、彼はもう二度とベッドから起き上がることはありませんでした。
 医師は彼の死因が脳卒中であると診断しましたが、スワミ・プレーマーナンダによれば、マノモハンは死の瞬間までヨーガの境地に没頭していたということでした。
 最後の三日間、彼はシュリー・ラーマクリシュナの御名を、繰り返し唱え続けました。
 最期の日1903年2月30日、彼は声が出せなくなりましたが、信者たちは彼の唇が動いているのに気づき、皆で彼のために主の御名を唱え始めました。
 すると突然彼の毛が逆立ち、彼のプラーナは神へと溶け込んでいったのでした。

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