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ゴーラープ・マーの生涯(1)

ゴーラープ・マーの生涯

 愛する誰かの死によって、人は転機を迎えます。そのとき、周りのすべては絶望と闇に見え、人々は生について深く考え始めます。そして、死と別離で終わる人生の虚しさ、はかなさに気づくのです。
 心を打ち砕かれるような悲しみに涙が流れます。しかしまた、他の愛する者によって心が満たされ、悲しみが癒えることも自然な法則です。
 ゴーラープ・マーの耐えがたい悲しみは、彼女の心をラーマクリシュナへと向け、人生を一変させるためにもたらされた神の恩寵でした。

 ゴーラープ・マーことゴーラープ・スンダリ・デーヴィーは1840年ごろ、北カルカッタのブラーミンの家に生まれました。彼女の両親は、ゴーラープ・マーがまだ若い頃に、貧しいブラーミンと彼女を結婚させました。しかし彼女の夫は、ゴーラープ・マーとまだ小さかった娘と息子を残して他界しました。そして彼女の息子もとても幼くして死んでしまったので、彼女の人生の中心は残された娘のチャンディーだけでした。
 ゴーラープ・マーは、サウリンドラ・モハン・タゴールという、カルカッタの地位が高くて裕福な地主と自分の娘を結婚させました。しかし非情な運命はまたもやゴーラープ・マーに降りかかりました。娘のチャンディーもまた若くして死んでしまったのです。母親としてのゴーラープ・マーの人生は、途方もない空虚感に襲われました。

 ゴーラープ・マーは、泣いて自分自身を呪いましたが、どこにも彼女の悲しみを癒すすべを見つけることはできませんでした。
 隣人であったヨーギン・マーは、ゴーラープ・マーを慰めに来たとき、彼女の悲痛を見て哀れみ、1885年のある日、ドッキネッショルのラーマクリシュナの元へゴーラープ・マーを連れていきました。

 ゴーラープ・マーは、初めて師に会ったときのことを、後にこのように語っています。

「わたしが初めて師にお会いしたとき、わたしは娘のチャンディーを失った深い悲しみの苦悩の中にありました。ヨーギンが彼の元にわたしを連れていってくれたのです。師はわたしの頭に触れて、わたしの心からすべての苦悩を取り除いてくださいました。それは信じられない体験でした。一瞬にしてわたしの気持ちは落ち着き、穏やかになりました。わたしはまるでジュニャーニ(完全なる叡智を得た者)のように笑い出してしまいました。この世界には、リーラーを演じるためにやってきたのだと分かったのです。誰が誰の母親で誰が誰の娘だというのでしょう? 子供の頃に着せ替え人形で遊んで、その後は生身の人間と戯れていたわけです。この世界はただの人形とのお遊びの世界。ならばなぜわたしは娘のことで泣き叫ばなくてはいけないのでしょうか? 神を想って泣くことが素晴しいことです。……わたしにもたらされたこれらの気づきは、師のお力でした!」

 のちにゴーラープ・マーは、ラーマクリシュナに人生の悲しみを打ち明けました。ラーマクリシュナは恍惚状態になり、「お前は幸運なのだよ。神は、誰も身寄りがない者をお助けくださるんだよ」と言って、歌を歌い始めました。

 宿れ、おお心よ、お前自身の中に
 誰の家でもないところに
 そこを探すなら、見つけるだろう
 すべてお前が探しているものを
 神よ、祈る者すべてにお応えくださる
 真実の賢者の石
 この上なく豊かな宝石
 心の深いところに隠れ横たわる
 最高の珠玉

 師のひと触れや彼の言葉、そして彼の歌声は、ゴーラープ・マーの悲しみに深く落ち込んだ心を慰め、新しい希望の光と幸せを、彼女の人生にもたらしてくれたのでした。

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