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ゴークラダース・デイとM(5)

 Mは、ホーリーマザーがジャイラームヴァティからお戻りになったときには、よくウドボーダンの家を訪れていた。ある日、彼はウドボーダンの家で私を見かけ、こう仰った。

「春の到来とともに、カッコウが訪れます。」

 ホーリーマザーが母なる神ご自身であるとMが悟っていたことは、彼の行動とふるまいの中で明らかだった。信者達はホーリーマザーを礼拝するために、ウドボーダンの家の1階で待っていた。しかしMは、到着すると、腰をかがめ、ウドボーダンの家の床にしばらく頭を着けていた。その間、目には涙を浮かべていた。
 そして訪問時間が来ると、Mはホーリーマザーに礼拝するために、2階に上った。彼女はMを息子のように眺め、愛情深く接し、彼のあごを触った。年老いたMがホーリーマザーの前ではまるで子供のように振る舞っているのを目にしたことは貴重であった。

 一般的に、プラサードは神に受け入れられたお供物を意味する。そしてもしそれを食べる者がいるなら、神はお喜びになり、彼によくして下さる。ある日、ウドボーダンでMは説明した。

「プラサードが何だか知っているかね? プラサードは、神が(今)喜んでいらっしゃるという意味であって、彼が後でお喜びになるという意味ではないのだよ。」

 どれほど様々な手段を使って、Mは神を自らのものにしていたことか! 彼はガンガーの近くを訪れた際、頭を地面につけ、長い間平伏していた。彼はガンガーを母なる神ご自身だとみなしていた。ある日、彼は仰った。

「イエス・キリストの言葉にあるように、まるで母なるガンガーがこう仰っているようだ。
『汝らを働かせ、重荷となるすべてのものを私に背負わせよ。私はあなたに休息を与えよう。』」

 そのとき、幾人かの労働者が、一日の長い重労働の後、ガンガーで沐浴をしていた。彼らはこのようにして疲れを癒し、家路についた。私たちは毎日このような光景を見ているが、人々が沐浴しているのを見て、母なる神の恩寵をこのように思い出す者が何人いるだろうか?

 Mは、学校の規則についてはとても厳しかった。ある日、彼は自分の生徒をオフィスに呼び出し、私にこう仰った。

「この生徒は、校則に従っていない。」

 彼はまた同僚たちに、忠誠心を持って、指導者の命令に従うようにさせた。Mはユーモアを込めて、現代の民主主義を「暴民政治」と呼んだ。彼は教育委員会の編成についてカルカッタ大学の当局と意見が合わなかったので、大学側はMの学校への所属を無効にした。
 その結果、彼は喜んで自校の9年生と10年生の学級を閉鎖した。
 また、それによって収入はかなり減った。私はMに、なぜ大学の提案に賛成しなかったのですかと伺うと、彼は仰った。

「誰が自由なしに生きたいと思うかね?」

 Mの信念は堅固で、彼の学校に対する理想は揺るぎないものだった。

 私は、Mが自分の家族について語るのを聞いたことがなかった。ある日、彼の長男(プラバース・グプタ)が、大量の10ルピーの札束を持ちながら、中庭を行ったり来たりしていた。門番が二階から彼の大きなバッグを持ってくるのを待っていたのだ。彼は銀行に預金に行くところだった。彼を指して、Mは私に仰った。

「金の力をごらん! その熱が彼に中庭の中を行ったり来たりさせている。彼をじっと立たせておかないのだよ。お金は普通のものだろうか? ときには、金のために息子は親をも殺すのだよ。」

 私は驚いて何も言えなかった。ふつうの父親は逆に自分の息子がいかに成功しているかという例を引き合いに出すだろうし、このようなことは言えないだろうと思ったからだ。Mがどうしてそのように自分の息子を他人のように見なすことができたのか、私には皆目見当もつかなかった。

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