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クンサン・ラマの教え 第一部 第四章「カルマ:原因と結果の法則」(5)

 
 マハーモッガッラーナは、仏陀の弟子すべての中で最も強力な神通力を持っていたが、過去のカルマの結果によって、外道に殺された。それまでは、たとえ三界のあらゆる者が一斉に攻撃をしたとしても、マハーモッガッラーナの髪の毛一本も傷つけることはできなかった。しかしそのときは、過去のカルマによって、普通の人のように殺されてしまった。

 昔、カシミール地方に、ラヴァティという名の僧侶がいた。大勢の弟子がいて、神通力を持っていた。ある日彼は、森の奥で僧衣をサフラン色に染めていた。その同じとき、近くに住むある男が、迷った子牛を探していた。森の奥から煙が立ち上っているのを見て、男は森の奥へと入っていった。
 そこで僧侶が火をおこしているのを見て、「何をしているのですか?」と尋ねた。
 僧侶は「僧衣を染めているのです」と答えた。
 男は鍋の蓋を取って中を見、「これは肉だ!」と叫んだ。僧侶が見てみると、本当に鍋の中で肉が煮られていた。
 その男は僧侶を王に引き渡し、「この僧侶がわたしの子牛を盗んだのです。罰してください」と言った。そこで王はラヴァティを穴の中に投げ入れた。
 しかしその数日後、いなくなった子牛が見つかった。男は王のところへ行き、「あの僧侶はわたしの牛を盗んではいませんでした。どうか解放してください」と言った。
 しかし、王はうっかりしてラヴァティを解放するのを忘れてしまい、六か月が経ってしまった。
 ついにしびれを切れしたラヴァティの弟子たちが、神通力で空を飛んで、王の前にやって来て言った。
「ラヴァティ師は清浄でけがれのない僧侶です。解放してください。」
 王がラヴァティのところへ行くと、ラヴァティはひどく衰弱していた。それを見て王は後悔し、
「もっと早く来るべきだったのに、長い間放っておいてしまった。わたしはなんてひどい罪を犯してしまったのか!」
と叫んだ。
 「何も悪いことはありません。すべてはわたし自身の行ないの結果なのです」
とラヴァティは言った。
 「過去世において盗賊だったとき、わたしは子牛を盗んだことがありました。持ち主に追いかけられたので、たまたま茂みで瞑想していた独覚の近くに子牛を放置して逃げました。子牛の持ち主はその独覚が犯人だと勘違いし、六日間、穴の中に閉じ込めました。その行ないの結果が完全に熟して、わたしは数えきれないほど三悪趣の苦しみを味わいました。今起きたことは、その最後の結果なのです。」

 わたしたちは始まりのない遥かな昔から輪廻をさまよい、悪しき行ないを数えきれないほど積み重ね、今もさらに積み続けている。それなのにどうして輪廻からの解放が望めるだろうか。それどころか三悪趣から解放されることさえ難しいだろう。よって、ほんの短時間でもいいので、ほんの些細な悪しき行ないもやめて、どんなに小さなことでもよいから善き行ないをしなさい。このように努力しない限り、多くのカルパにわたって三悪趣に生を受けることになる。ほんの少しの悪しき行ないであっても、決して甘く見てはいけない。
 菩薩シャーンティデーヴァは次のように説いている。
 
 
 わずか一瞬おかした罪悪からも、
 一カルパの間、無間地獄に落ちる。
 無始以来のカルパに渡る罪悪が(わたしに)ある以上、
 何が善趣について説かれえようか。

 「賢愚経」には次のように説かれている。

 小さな悪行が害をなすことはないと思って
 軽く見てはいけません。
 ほんの少しの火花でも
 干し草の山を燃やしてしまうのだから。

 同様に、ほんの小さな善き行ないも、のちに大きな善き結果をもたらす。よって、ほんの小さな善き行ないも、大したことではないと思って見くびってはいけない。
 「賢愚経」にはこう説かれている。

 小さな善行は何の助けにもならないと思って
 軽く見てはいけません。
 一滴ずつ滴り落ちる水滴も
 最後には大きな壺を満たすことができるのだから。

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