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クンサン・ラマの教え 第一部 第二章「無常」(4)

(6)死の不確実さ

 この世界に生を受けたあらゆる人間は、確実に死ぬ。しかし、どのようにして、何によって、いつ、どこで死ぬのかということを、あらかじめ知ることはできない。この世界には、生を助けるものはほとんどなく、生を脅かすものは多い。

 アーリヤデーヴァは次のように説いている。

 死の原因は数えきれないが
 生の原因は極めて少ない。
 そしてそれすらも死の原因となるかもしれない。

 火、水、毒、断崖絶壁、野蛮人、野生動物など、あらゆる種類の死の危険が周りにはある。食料や衣服などは、通常は命を支えるものであると考えられているが、死の原因となることもある。
 病気の多くは、食べることの結果起きる。例えば食料が汚染されている。あるいはある食べ物はある者にとっては有益であるが、特定の条件によっては毒となることがある。不健康な食事の習慣や生活習慣もまた、腫瘍、粘液の不順、浮腫などの病気を引き起こし、死の原因となる。
 同様に、お金や名声などを求めることによって、争いを引き起こしたり、多くの危険な状況を生み出し、死につながる。
 さらに、このような様々な死の原因があらわれる瞬間は、まったく予想ができない。母の子宮にいるときに死ぬこともあるし、生まれてすぐ死ぬこともある。ハイハイを覚える前に死ぬこともあれば、若くして死ぬことも年老いて死ぬこともある。薬や助けが来る前に死ぬ者もあれば、なかなか死なず、病気で長く苦しむ者もいる。突然死、事故死、食事中の死や、働いているときに死ぬ人も多い。自殺をする人さえいる。
 とても多くの死の原因に囲まれているため、命を長らえることは、風の中のろうそくの炎のように、ほんのわずかな可能性しかない。今すぐに死が襲ってきて、明日には動物に生まれ変わらないという保証はどこにもない。いつ死ぬかを知ることはできず、次にどこに生まれるかを知ることもできないことを、しっかりと認識しなければならない。

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