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クンサン・ラマの教え 第一部 第三章「輪廻の苦しみ」(7)

(三)その他の人間の苦しみ

嫌悪するものに会う恐怖:富や財産を守るために、すべての時間を費やして昼夜見張りをしても、最終的に敵に奪われるのを防ぐことはできない。昼の追いはぎ、夜の盗賊、野犬、オオカミ、その他の敵が、前触れもなく襲い掛かってくる。富や財産が多くなるほど問題も多くなり、さらなる富や財産を得ようとしたり、守ったりしなければいけなくなる。
 ナーガールジュナは次のように説いている。

 
 富を集め、見張り、増やすことにより消耗してしまう。
 金持ちになることで、果てしない堕落と破壊がもたらされることを理解しなければならない。

 ジェツン・ミラレーパは次のように説いている。

 初めは富は、幸せと羨望をもたらす。
 しかし、富がどれほど多くなろうとも、満足することはない。
 そのうちに、惜しむ気持ちが生じてきて、
 供養や布施などに使うことに耐えられなくなる。
 敵や悪しき力を引き付け、
 集めたものはすべて、他の者によって使い果たされてしまう。
 最後は、富という悪魔によって命が危険にさらされる。
 敵のために富を守るとは、なんということだろうか!
 わたしは、輪廻に引きずり下ろす重荷を捨ててしまった。
 これ以上、悪魔に誘惑されたくはない。

 所有しているものの量と苦しみは釣り合っている。例えば馬を持っていれば敵や盗賊に盗まれないかと心配し、必要な干し草などを心配する。たった一頭の馬が多くの問題を生じさせることになる。羊を持っていればその分だけの心配をする。一袋のお茶であっても、その分の問題が起こることは明白である。
 古のことわざに「富がなければ敵もいない」といわれている。過去の仏陀の物語に照らし合わせて、お金や富への執着を滅しなさい。鳥のように今あるもので暮らして、ダルマの修行に身を捧げなさい。

愛するものを失う恐怖:この輪廻に生きるわたしたちは皆、他者に対する愛著と嫌悪を持っている。家族、部下、仲間、友人、愛する人々のために、あらゆる苦しみを経験する。血縁や友情で結ばれた誰であっても永遠に生きることができず、遅かれ早かれ別れることになる。彼らが死ぬか、他の場所に去るか、あるいは敵や他の危険にさらされたとき、苦しみを感じる。
 しかし、注意深く考えなければならない。自分が愛著している者は、本当に自分が考えているほど愛著すべきものなのか。例えば親は子供の愛し方を間違えており、その影響はとても危険である。子供たちに富や財産を与え、結婚させることで、子供たちは輪廻に固く縛り付けられる。敵を打ち負かす方法や金持ちになる方法などを子供に教えるが、それらは悪しき行ないであり、三悪趣へと導くことになる。
 子供たちは、男の子でも女の子でも、最初は親の体の栄養を吸い、次第に口から食べ物を取り、最後に手から財産を奪っていく。親の愛に対しては反抗をもって応える。
 ある親は、人生をかけて築いた富を自分の息子たちに譲り、息子たちのあらゆる悪しき行ないも気にしない。それでも息子たちは少しも感謝することはない。父親の持ち物が自分のものになるのは当たり前だと考えるだけだ。
 娘たちもまた同じように、感謝することなく親の財産を持っていく。与えれば与えるほど欲しがるようになる。
 もし親がたくさんの財産を持っていれば、子供はそれを巻き上げる。子供たちは、自分たちが良い状況であっても、親には何も持ってこない。しかしうまくいかなくなると、家に帰ってきて、家族に不名誉や悲しみをもたらす。
 わたしたちが豊かで幸せで立派でいる限りは、親せきや友人は、神様のように扱ってくれる。できることは何でもしてくれるし、多くの必要のないものをくれる。しかしこちらがうまくいかなくなると、何も害をなしていないのに敵のように扱い、こちらの親切にも悪意をもって応えるようになる。
 これらのことが示すのは、息子、娘、家族、友人には、愛著する価値はないということである。
 ジェツン・ミラレーパは次のような歌を歌った。

 若いとき、息子は天の王子のよう 
 あなたは息子を愛するがあまり、その愛著は耐えがたく
 中年になると、息子は無慈悲な債権者に変わり、
 すべてを与えても、もっと多くを要求する。
 家から追われるのは両親で、
 招き入れられるのは、息子の愛する魅力ある婦人。
 父が呼べども、息子は答えず
 母が大声で泣き叫べども、聴こうとせぬ。
 そこで隣人は、ここぞとばかりに嘘と噂を広める。
 このように、子供は敵となる、とわたしは学んだ。
 これを心に刻み、わたしはサンサーラの足かせを放棄する。
 息子や甥は、少しも望みません。

 ミラレーパは続けて歌う。

 若いとき、娘は、微笑む天使のよう
 宝石よりも魅力的で貴い。
 中年になると、役立たずになる。
 父の前では公然と物を持ち出し
 母に隠れてひそかにちょろまかす。
 娘を褒めることがなく、その要求を満たすことがなければ
 両親は反感と怒りを買う。
 ついには、娘は顔を真っ赤にして怒り、剣を振り回す。
 最良の場合には、彼女は他者のための奉仕と献身に身を捧げるかもしれないが、
 最悪の場合には、彼女は災難や参事をもたらす。
 女性というものは、常にトラブルメーカーだ。
 これを心に刻み、取り返しのつかない不幸を避けるべきである。
 苦しみの一番の源である女性を、わたしは少しも望まない。

 最初、親族に挨拶するとき、
 幸せで喜ばしく感じる。
 彼は熱を込めて世話を焼き、もてなし、語りかける。
 後には彼らと肉と酒を分かち合う。
 一度贈り物をしたなら、彼らはお返しをくれる。
 しかしついには、怒りと執着とうらみごとの原因となり、
 悲嘆と不幸の泉となる。
 これを心に留め、わたしは陽気で社交的な仲間を放棄する。
 親戚と隣人は、わたしは少しも望まない。

欲しいものが手に入らない苦しみ:この世界の誰もが、幸福になりたいと思っている。そして、欲しいものを手に入れたいと思っている。しかし例えば居心地の良い家を建てようとしても、家が壊れて死んでしまうこともある。飢えを満たそうとして食べようとしても、食べ物によって病気になって命が脅かされることもある。兵士は勝利のために戦うが、すぐに殺される。商人の団体は儲けようと高望みをして交易の遠征に出るが、襲われてすべてを奪われ、物乞いになってしまう。金持ちになって幸福になろうとしてどれほど労力を費やしても、過去の行ないによって功徳が積まれていないならば、ちょっとした飢えさえ満たすことはできない。
 何をしても、自分と他者に問題を作り出す。確実なのは、三悪趣から解放されることができないということだけである。決して終わることのない輪廻の行ないに、どんな価値があるというのだろうか?
 無始の過去から輪廻において、欲しいものを得ようとしてきたすべての努力は、苦しみ以外何ももたらすことはなかった。今までに世俗の目的を達成するために費やしたエネルギーの一部でもダルマのために使っていたら、すでにブッダになっていただろう。
 次のように瞑想しなさい。今自分は、なすべきこととなすべきでないことの区別がつく。今からは、決して実現することのない世俗の事柄に多大な希望を持つことをやめ、代わりにダルマを修行しよう。そうするならば、修行の成果は必ず実現されることは確実である。

望まないことが起こる苦しみ:本章で述べたどのような苦しみも、望む者は世界のどこにもいない。しかし常に苦しみにさいなまれている。
 望まないことが、いつも自分の身に起きている。偉大なる遍智のラマ(ロンチェンパ)は次のように説いた。

 家族や愛する者と永遠に一緒にいたいと思う。
 しかし必ず別れることになる。

 美しい家に永遠に痛いと思う。
 しかし必ず離れることになる。

 永遠に幸福で、豊かで、快適でいたいと思う。
 しかし必ず失うことになる、

 自由と条件をそなえた素晴らしいこの人間の命を永遠に保ちたいと思う。
 しかし必ず死ぬことになる。

 素晴らしい師と、永遠にダルマを修行したいと思う。
 しかし必ず別れることになる。

 善き法友と永遠に一緒にいたいと思う。
 しかし必ず別れることになる。

 ああ、輪廻に深く幻滅したわが友よ、
 わたし、ダルマを知らない物乞いが、強く勧める。
 今日から、精進という鎧を着なさい。
 永遠なる喜びの地に至るために。

 富、財産、健康、幸福、名声は、すべて過去の善き行ないの結果である。過去に善行を積んでいれば、その結果として、望んでも望まなくても自然に手に入る。しかし功徳がなければ、どんなに努力しても望むものは手に入らず、望まないものだけを得る。
 ダルマを修行するときには、何があっても満足していられる心という、尽きることのない富に頼りなさい。そうしなければ、修行を始めたとしても、今生における世俗的な欲望によって問題が生じ、聖者を不愉快にさせる。
 ジェツン・ミラレーパは次のように説いた。

 勝者(仏陀)が主に説いたのは、
 八つの世俗の関心を、いかに取り除くかであった。
 しかし最近の、学識があると思っている者は、
 以前より世俗への関心が大きくなっているのではないか?

 勝者は、あらゆる世俗の行ないを捨てよという
 従うべき原則を教えた。
 しかし、この規則に従っているはずの今日の僧侶は、
 以前よりもたくさんの世俗の用事にかまけているのではないか?

 勝者は、友人や親族との結びつきを断ち切り、
 古の修行者のように生きることを説いた。
 しかし今日の修行者は、
 人々にどのように見られているかと気にしていないだろうか?

 今日のような堕落した時代において、人々は、ほんのわずかな幸せの機会さえ奪われている。人生はあらゆる苦しみに満ちている。毎年、毎月、毎日、堕落する速度が上がり、カルパが悪化している。仏陀の教えと衆生の幸せが、次第に衰退している。このように考え、幻滅する気持ちを育てなさい。
 物事の真なる様を見極め、何をなすべきで何をなさざるべきか、しっかりと心を決めなければならない。
 ロンチェンパの次のような助言を実践しなさい。

 ときには、自分が好ましいと思うことを考えてみなさい。
 それがただの知覚にすぎないということを理解すれば、あらゆる経験は本質に至る助けとなる。

 ときには、気分を悪くするような、気に入らないことを観察しなさい。
 すると、幻想に心が縛られた状態から抜け出すことができるようになる。

 ときには、友達や他人の先生のことを注意深く観察しなさい。
 善し悪しを識別することによって、修行が進むことになる。

 ときには、空間における四大元素の奇跡的な顕現を調べてみなさい。
 すべてのものが、心の本質においては、作為がいかになくなっているか理解できるだろう。

 ときには、自分の国や家のこと、財産のことをよく観察しなさい。
 それらが幻であることを理解すれば、自分の財産に対する執着を厭うようになる。

 ときには、他人の富と財産についてよく観察しなさい。
 彼らがどれほど痛ましいか理解できれば。慈悲の心がわいてきて、輪廻への欲望が消えてくる。

 かくのごとく、あらゆる現象の本性を知れば、
 すべてを実体として執着する迷妄は破壊されるだろう。

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