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クンサン・ラマの教え 第一部 第三章「輪廻の苦しみ」(6)

(二)生まれること、病、老い、死の苦しみ

生まれることの苦しみ:父の精子と母の卵子が結合するとき、バルドの状態にある意識がそこに入る。そして、様々な胎芽期の痛みを経験する。それは、丸いゼリー、粘性のある楕円形、厚い長方形、しっかりとした卵形、固い丸い塊などになる。いったん、手足と付属器官、感覚器官が形成されると、胎児は、暗く臭く息苦しい子宮に閉じ込められ、牢屋に入れられたような苦しみを味わう。母親が熱いものを食べると、胎児は火で焼かれたような苦しみを味わう。冷たいものを食べれば、凍った水に投げ入れられたように感じる。母親が横になれば地中に埋められたように、満腹になれば岩に閉じ込められたように、空腹になれば絶壁から落ちたように、歩いたり座ったりすれば風に吹きつけられたように感じる。
 出産の時期が近づくと、カルマによって形成された力によって、出産の準備が整う。赤ん坊が子宮頚部に向かって押し出されるときには、力の強い巨人に手足をつかまれ、壁に叩きつけられるような苦しみを味わう。骨盤の構造によって、赤ん坊は小さな穴から引っ張り出されるように感じる。
 生まれた後も、赤ん坊は多くの苦しみを経験する。生まれて布団の上に寝かされると、針が生えた穴に落ちたように感じる。体を覆っている粘液を拭き取られると、生きたまま皮をはがされたように感じる。体を洗われると、針で刺されたように感じる。母の膝の上に載せられると、まるで鷹にさらわれた小鳥のように感じる。頭頂にバターを塗られると、縛り付けられて穴に放り込まれたように感じる。ゆりかごに入れられると、汚い泥の中に入れられたように感じる。赤ん坊は、おなかが空いても、喉が渇いても、気分が悪くなったり苦しみを感じたりしても、泣くことしかできない。
 生まれてから年を取っていくことで、成長し向上しているように思うかもしれない。しかし実際には、寿命が日ごとに短くなり、死が近づいているに過ぎない。日常生活の様々な用事に次から次へと追われ、それは水面の波紋のように続き、終わることがない。さらに、世俗の人生のすべては悪しき行ないに基づいているため、その結果は、三悪趣への確実な転生であり、終わりなき苦しみである。

老いの苦しみ:取るに足らない日常の用事で果てしなく忙しくしているうちに、老いの苦しみは、気づかぬうちに忍び寄ってくる。肉体は少しずつ活力を失う。好きな食べ物も消化できなくなる。目はかすみ、小さいものや遠くにあるものをはっきりと見ることができなくなる。耳も悪くなり、おいしい味覚も味わえなくなり、言いたいことをはっきりと話すことができなくなる。精神的な力も弱まり、記憶力が低下し、混乱と忘却に陥る。歯は抜け落ち、硬い食べ物は噛めなくなり、何を言っても不明瞭なつぶやきになる。体の熱は弱まり、薄着では寒く感じるようになる。筋力は衰えて、重いものが持てなくなる。チャクラとエネルギーが衰えるため、怒りっぽく、こらえ性がなくなる。皆に軽蔑され、憂鬱で悲しくなる。体のあらゆる器官のバランスが崩れ、病と障害が生じる。歩くことや座ることが難しくなり、あらゆる行動に苦労する。
 ジェツン・ミラレーパは次のように説いた。

 あなたを椅子から持ち上げるのは、杭を引き抜くようなもの
 弱った足で、あなたは
 うろうろするアヒルのようによたよた歩き
 座に座るときには
 地も石も砕け散るかのようだ。
 無様な耄碌したあなたの身体。
 お婆さん、あなたは選択の余地なく、人に従うほかはない。
 自分自身の考えを検討し、心を吟味してごらんなさい。
 ブッダの教えを実践してごらんなさい。
 あなたには、資格があり、頼りになるグルが必要だ。
 そうすれば、万事が変わってくるかもしれない。

 あなたの皮膚はしわだらけ
 しなびた肉から、骨が鋭く突き出し
 あなたは耳は遠く、口がきけず、大馬鹿で、行動は突飛で、そしてよぼよぼ
 あなたはすっかり、無様になっている。
 お婆さん、あなたの醜い顔はしわだらけ。
 自分自身の考えを検討し、心を吟味してごらんなさい。
 ブッダの教えを実践してごらんなさい。
 あなたには、資格があり、頼りになるグルが必要だ。
 そうすれば、万事が変わってくるかもしれない。

 あなたの食べ物と飲み物は、冷えて腐っている
 外套は汚れて重く
 あなたのベッドは粗くて皮膚が破れてしまう。
 この三つが、いつも変わらぬあなたの伴侶。
 お婆さん、今やあなたは半分女、半分雌犬の哀れな生き物!
 自分自身の考えを検討し、心を吟味してごらんなさい。
 ブッダの教えを実践してごらんなさい。
 あなたには、資格があり、頼りになるグルが必要だ。
 そうすれば、万事が変わってくるかもしれない。

 年を取ると、立ち上がろうとしても、昔のようにスムーズには立てなくなる。固い地面から釘を引っこ抜くように、両手を床についてようやく立ち上がる。歩くときは腰が曲がり、足を素早く上げ下ろしできなくなり、ゆっくりと進む。腕や足の関節は関節炎になり、ゆっくりと座ることができなくなり、ドスンと腰を下ろす。
 筋肉は衰え、皮膚は緩み、肉体と顔はしわで覆われる。記憶力は減衰し、耳は遠くなり、視力も弱まる。はっきりと考えることができず、めまいを起こす。味覚も弱まる。何をするにも億劫になる。
 肉体的な衰えは、恐ろしい精神的な苦しみと鬱をもたらす。顔の美しさと輝きは消え、肌はしわに覆われる。皆に軽蔑され、寝たきりになる。もはやどうすることもできない。老いの苦しみに耐えきれずに死にたいと思っても、実際は死が近づきつつあることにおびえている。

病の苦しみ:身体を構成する四大元素のバランスが崩れると、あらゆる病気が起こり、痛みと苦しみにさいなまれる。
 病気によって、どれだけ若くても、どれだけ丈夫な体でも、どれだけ全盛期でも、石に打たれた小鳥のようにボロボロになる。力は蒸発してしまい、寝床に深く沈み込み、ちょっとした動きも難しくなる。左右に寝がえりをうったり、あおむけになったりうつぶせになったりするが、決して心地よくなることはない。食欲はなくなり、よりも眠れなくなる。苦い薬や不快な治療に耐えなくてはいけない。死んでしまうかもしれないという恐怖もある。身体と心の制御を失い、幻覚を見ることもある。ハンセン病や癲癇などの病に苦しむ人は皆に見捨てられて、自分の運命を予期する。
 病気が重くなると、自分の面倒を見ることができなくなる。病気によって短気になって、世話してくれる人のアラ探しばかりをする。細かいことにこだわり、批判的になる。病気が長引くと、人々は面倒を見るのが嫌になり、頼みごとをしても聞き入れてもらえなくなる。そして病気による不快さにさいなまれ続ける。

死の苦しみ:死が近づくと、床に臥せって、起き上がる力はもはやなくなる。死ぬという感覚に苦しんで、ますます憂鬱になる。これから待ち受ける死の悪い前兆と幻覚を経験する。
 死の時が近づくと家族や友人が集まるが、死への旅立ちを遅らせることは何もできない。たった一人で死の苦しみを経験する。どれほど多くの財産を持っていたとしても持っていくことはできない。過去の悪しき行ないを思い出して後悔に押しつぶされる。三悪趣の苦しみを考えて恐ろしくなる。死は突然やって来る。恐怖におののき、命の終わりを感じ、次第に冷たくなっていく。
 悪しき行ないをなした者が死ぬときは、自分の悪業を思い出して、三悪趣に生まれ変わる恐怖にかられる。死の瞬間に唯一役に立つダルマの修行をできるときにしなかったことを心から後悔し、恐ろしい苦痛にさいなまれる。
 死ぬ前でさえ、三悪趣は悪しき者に近づき始めている。感じるものすべては恐怖となる。あらゆる感覚が苦しみをもたらす。肉体を構成する要素が溶解するとき、呼吸は荒くなり、手足の力が抜け、幻覚を見始める。命を終えるとバルドの状態が始まるが、誰も守護してくれる者はいない。
 裸で何も持たずにこの生から離れる瞬間が、今日にも来ないという保証は全くない。そのときに本当に救ってくれるのは、ただ帰依と修行だけである。
 次のように言われている。

 母の子宮の中で、心をダルマに向けなさい。
 生まれたらすぐに、死に備えてダルマを思い出しなさい。

 老人にも若者にも、死は等しく突然にやって来る。よって、生まれたまさにその瞬間からダルマの修行を始めなくてはいけない。死の瞬間に救ってくれるのはダルマしかない。しかし、その瞬間が来るまで死のことを忘れて、敵への嫌悪や友への執着にとらわれ、家や持ち物を守ることや、友人や家族のことで忙しくしている。しかし、そんなことをして貴重な人生を浪費し、友人や愛する者のために愛著や迷妄や嫌悪にまみれ続けることは、いつ来るかわからない死のことを考えるならば、大きな間違いである。

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