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キャラ・ケンポ・チェチョク・トンドゥプの生涯(1)

キャラ・ケンポ・チェチョク・トンドゥプの生涯
1893-1957

 わたし(この伝記の著者)の教師かつ指導者であったキャブジェ・キャラ・ケンポ・チェチョク・トンドゥプは、生きた菩薩であり、そしてダルマの成就者でした。

 彼はロブサン・チャンパやマティとしても知られています。

 目立たない生徒だった頃、彼は何年にもわたって勉学と修行に懸命に励み、高度な成就をなしたケンポとなりました。

 ケンポはラブジュン十五世の水の蛇の年(1893年)にゴロクのマル谷で生まれました。彼の母はソツォ、彼の父は前の世代にジカ谷のキャラ村から移住したキャラ族のユムコでした。

 彼はゴロクの上マル谷のタン・ニ・ハ(“二つの山道のあいだ”)で育ちました。子供の頃、彼は心に慈愛と信を持つ非凡な少年でした。若者の頃、彼はその日々のほとんどを山々のあいだをヤクや羊を追う羊飼いとして過ごしましたが、それは遊牧民のキャンプの少年たちにとって普通のことでした。彼は日々のほとんどを動物たちとともに過ごしましたが、他の羊飼いたちとは違い、石で彼らを打ったりすることはなく、彼らの耳に甘い言葉を歌ったり、祈りを口にしたりしました。動物の世話をしながら、ときおり小魚を、雨によってできた小さな池から大きな池に何時間もかけて運びました。なぜなら、そのままにしておくとそれらの小さな池はやがて干上がり、魚はじきに死んでしまうからでした。

 彼には成就した師である叔父(1865-?)がいました。叔父は七歳のとき、パトゥル・リンポチェから教えを受けるために子供の同伴者としてドドゥプチェン三世についていったことがありました。ケンポは動物の世話をしながら、この叔父から経典を学んだり、ダルマの意味や成就者たちの生涯を学ぶ授業を受け続けました。

 彼は十五歳頃から、有名なテルトンであったガルワ・ロン・ヤンの隠遁所で毎年数ヶ月を過ごし、ダルマの教えや訓練を受けました。

 十九歳のとき、ガルワ・ロン・ヤンがなくなったあと、ケンポは彼の父に馬で旅して二日の距離にある隣の谷のドドゥプチェン僧院へ行く決意について話しました。彼の父は数日間その件に関して何も言わず、反対の態度を示しました。この無言の会話はしばらく続きましたが、最後には彼の父は抵抗をあきらめました。

 ケンポはドドゥプチェン僧院でガルワ・ケンポと後にケンポの中心的な師となるケンポ・コンメから学びました。

 彼が二十歳のとき、受戒を受けて出家修行者となりました。その後程なくして、彼は両親からの物質的な援助を受けることを断りました。ダルマを修行する真面目な初心者が自分の家族や友人と密接な関係を維持するならば、彼は感情的な結びつきや義務によって惑わされて、自分の心を精神的な修行に専念することができなくなるかもしれないからです。
 しかしこの決断の結果、ケンポは生計の問題に直面しました。それにもかかわらず、彼はけっして自分の問題を誰にも明かしませんでした。というのは、彼は誰かが彼への援助を申し出て、新たな結びつきが作られることを恐れたからでした。
 毎秋、遊牧民がバターやチーズを集め、農民が穀物を収穫する時期になると、多くの出家修行者たちと同様に、ケンポも施しを求めに近くの遊牧民のキャンプか農民の村に、ときには両方のところへ出かけました。彼はこの数週間の托鉢の時期に集めた食料だけで丸一年間を過ごしました。

 彼はケンポ・コンメから、論理学に関してはダルマキールティとディグナーガの著作を、大乗哲学に関してはナーガールジュナの六つの作品、アサンガの五つの作品、チャンドラキールティのマディヤマカーヴァターラ、そしてシャーンタラクシタのマディヤマカーランカーラを、修行の誓いに関してはグナプラバとぺマ・ワンギャルを学びました。彼は一般的な修行に関してはラムリム・チェンモとンゴンド(準備修行)を、タントラに関してはグヒャサマージャ、グヒャガルバ、そして“ロンチェン・ニンティクの三つの根本”を、それからゾクチェンに関してはヨンテン・ゾ、イェシェー・ラマ、ゾドゥン、そしてンガルソ・コルスムを学びました。

 彼は生徒のころ、日中は授業に出席し、講義における議論に加わり、そして経典を暗記するために何時間も費やしました。夜は自分の部屋で個人的な勉強に励み、経典を暗記しました。月の明るい夜は、外へ出て読書をしました。ときどき、月明かりが山腹に隠れると、その後を追い、坂を上りながら読書をしました。そして朝、まさに山の頂上から降りて来なければいけませんでした。彼は明かりをつけるための器具を買う余裕がなかったため、月明かりで読書をしていたのです。
 ケンポは常に深い宗教的・哲学的な作品を学んだり、祈りを唱えたり、瞑想やサーダナを行なうのに忙しくしていました。彼は夜に四時間ほど眠る以外は休むことはありませんでした。

 彼はドドゥプチェン僧院の他のケンポやトゥルク・ぺマ・ドルジェから教えと伝達を受け取りました。またカトク・シトゥ・チューキ・ギャツォ、ゾクチェン・リンポチェ五世、テルトン・ソギャル、それからドルジェ・タクのリクジン・チェンモから、彼らがドドゥプチェン僧院を訪れたときに伝達を受け取りました。

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