yoga school kailas

カルマパ十世チューイン・ドルジェの歌(2)

 栄光にして偉大なるカルマパ、ジェツン・チューイン・ドルジェという言い表し難い名を持つ彼は、太陽と月のように名高い。
 驚くべき慈愛を持って衆生の無量の利益のために行為された聖ジェツン・チューキ・ワンチュクは、この近年、パリニルヴァーナに入られた。
 彼の貴重な亡骸のストゥーパが建てられた。
 そのとき、チューイン・ドルジェは、父と息子、グルとジェツンに対しての心の奥底からの信仰心を有する、さまざまな偉大なる瞑想家たちを見ながら、歓喜し、喜びに満ち溢れた。
 ジェツン・チューイン・ドルジェ自身は、無量の信仰心を感じた。
 彼の信の熱心さによって、そして彼の切望の力によって、胸がいっぱいで言葉が出なくなり、彼の経験は燃え盛った。
 彼は、これもあれもなく、全く何も存在しないとして、しばらくの間、自己をみつめていた。
 その後、彼は、他の幸運な者たちに修行の系統の先例を倣わせ、信仰心を持ってグルに仕えさせるために、この祈りと物語を書いた。

 シャマルの王冠の保持者アミターバ、
 勝者マイトレーヤである菩薩、
 わたしの唯一の帰依処チューキ・ワンチュクに帰依し、
 わたしは、不可分の信を持って、心から礼拝いたします。

 あなたは、慈愛を持ってわたしを受け入れてくださいました。
 わたしは、このような長い間、
 どのようにして、あなたの慈愛を平気で無視できたでしょうか?
 おお、チューキ・ワンチュクよ、慈愛を持って今、わたしを見てください。

 おお、良き大志のつながりを持ち、
 わたしのことだけを考える三族の弟子たちよ、
 ここへおいで、ここへおいで、息子よ。
 栄光なるグルの慈悲に守護されて、今ここへおいで。

 顔立ちがよく、自由で、偉大なる目的を持つ、今生の人間の身体は得難い。
 その真の意味は、一切の必要なものと願望を与える宝石である。
 もしこのとき、グルが非常に巧みに、
 これをわれわれの手の中に入れるならば、
 他に何の必要があろうか?
 偽者の宝石にしがみつくことは何の役に立とう?

 今、娯楽にふけり、
 名声と召使を満喫し、
 今生の目的の計画を立てる者たちは、
 自分自身と他者を何度も何度も、輪廻の中に流転させる。
 無始のときから、彼らは地獄で苦しんでいる。
 蜜を貯蔵するミツバチのように苦しみながら、
 彼らはいまだ、この迷妄に欺かれている。

 非永続的な条件付けられた物事は、無常である。
 ちょうど魔術師の幻影のように、
 無常なる幻影の身体に、終わりが来るのは確実だ。
 日に日に、死は近づいている。

 多くの良し悪しの区別、
 偽善とへつらいとごまかし、
 聖なる見解を冒涜する思い、
 これらの一切の散漫な思考は、いまだにわれわれを惑わす。
 道に迷ってはならない、道に迷ってはならない、気をつけなさい!
 
 今日から、木の下や山に囲まれた地で、
 わたしの寝床は、常に誰も知らない国境となるだろう。
 わたしの衣は、ごみ山から取られたただ機能的なものであるだろう。
 これらの充実した必需品で十分である。
 
 さまざまな国々を気ままに彷徨い、
 塵の中の水銀のように、
 八つの世俗的の法に気をとられた幼き人々の過失によって、
 わたしは覆われることはないだろう。

 われわれのかつての母たちは完全に正気を失い、
 全く不誠実で、自分のやり方に固執する。
 わたし自身の視覚は不十分であるから、
 わたしは、彼らの状況を見るが、行為のための好機を決して見つけることはできない。

 ブッダのヴィナヤ(戒律)の教え、
 この完全なる純粋な戒、それはわれわれが心から守るべきもの。
 われわれはたった一度だけ輪廻にいたわけではない。
 無数のカルパの間、
 われわれは、カルマと煩悩の力のゆえに輪廻を彷徨ってきた。
 長い間、われわれは、悪趣の悲惨を経験してきた。
 功徳への小さな繋がりによって、
 この今、われわれは自由で美しい人間の生を得た。
 これは、神になることよりも偉大なことだ。
 悟りのために奮闘する者たちは、それを得る。
 そして、彼らがそのようになることは価値あることだ。
 わたしは、他のおしゃべりの類を知らない。
 ただの無常な夢に過ぎないこの人生で、
 どうして何か他のことをする時間があるというのだろうか?

 純粋な信仰心が彼の息子の中で生まれるならば、
 これだけがグルの喜びである。
 彼が喜ばれるにつれ、彼の大いなる慈愛の雲から、
 祝福の雨が絶えず降り注ぐ。
 これが降り注ぐにつれ、信仰の芽が育つ。
 これが育つにつれ、悟りの収穫は熟される。
 これが熟されるにつれ、一切のかつての母たちはこれを食べるだろう。
 これを食べ、彼女たちは、大楽の至高なる味を経験する。
 その栄養の力によって、彼女たちは完全に自らの心を見る。
 これを見ることもまた、グルの慈愛である。

 われわれが死によって分けられなくなるならば、
 息子たちよ、もう一度わたしに会いに来なさい。
 アーラーラー、何という修行の系統の祝福だろう!
 アーラーラー、何という息子たちの信仰心だろう!
 われわれの心があなたの心と隔たり無く混ぜられますように。
 アーラーラー、なんと優しきグルであろう!
 概して、すべてのものはグルの慈愛である。

 今、われわれのような子供たちは、
 誤って草だと思い、罠に引っ掛かったレイヨウのようなもの。 
 彼の慈悲の御力によって、アヴァローキテーシュヴァラは、
 黒き冠の保持者となった。
 わたしは、これらのグル方の十番目として数えられる。
 これはわたしの最後の生。

 息子たちよ、今は信仰心を生じさせるときだ。
 懇願を捧げるべきときが来た。
 お前たちは今、もう十分長く、その周辺にいた。
 今こそ、一つになるのに適したときなのだ。

 衆生よ、かつての母たちよ、これを理解できますか?
 邪道に陥った人々よ、かつての母たちよ、これを理解できますか?
 信仰なき者たちよ、かつての母たちよ、これを理解できますか?
 頑固な者たちよ、かつての母たちよ、これを理解できますか?
 お前たちは、これを常に心に留めておくべきだ。

 カ イェー! 空の中の空のように、
 深遠なる平和、驚くべきシンプルさ、秘密のアムリタ、
 人の心とは、自ら光り輝く「それ」。
 われわれが、同時発生的な大いなる至福であるマハームドラーを得ますように。

 わたしは、このようには決して誰にも話さないのだろうと思っていた。
 にもかかわらず、修行の系統の先達、そしてわたしに心から喜びを感じた何人かの信仰ある偉大なる瞑想家たちを見て、わたしもまた、信仰心を感じ、無量の歓喜を感じた。
 これでもそれでもないという境地に、一瞬わたしは自分を見失った。
 
 わたしの心の中に生じた一切のものであるこの歌は、わたしの心とチューキ・ワンチュク菩薩の心が、一つに溶解されたものである。
 孤独の喜びを経験している修行僧である、わたしチューイン・ドルジェ・ティンレー・ゴンパル・トウェ・ペールは、鳥と獣が森林と花の中を気ままに彷徨う、香りの良い山々の中のシッダの最上の場所である、ツルプというアカニシタの偉大なる宮殿で、これを書き下ろした。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする