カダム派史(9)「ポトワ」
第二章 ポトワとその弟子、特にシャルワパとその後統
1.ドムトンの弟子プチュンワ
アティーシャをはじめとした高僧たちの多くは、生活の面倒まで見る内弟子を持っていたが、プチュンワ・ションヌ・ギャルツェンは、そのような内弟子を一切持たず、その代わり、供養などを受けて得た財物を、三宝供養の事業に費やした。内面的には瞑想に専念し、教えを請う者たちには、四つの真理の教えを広く説いた。
彼は1031年に生まれ、1106年に亡くなった。彼の弟子には、カルマ・タクなど、数人の賢者がいた。
2.ポトワ
ポトワは、師ドムトンが亡くなった後、51歳になるまで、ひたすら瞑想のみに専念した。そして51歳になってから、利他行に入った。
一カ所にとどまらずに動き回ったが、常に付き従ってくる弟子が1000人いた。
前述のラデン寺から離れたときのように、他人から批判や悪口を言われることがあったが、そんなときもポトワは、
「修行者は総じて口が悪いものだ」
と言って、決して言い返したり、報復をしたりしなかった。
法はアティーシャの「菩提道の灯火」を主体とし、そのほかに、
1.マハーヤーナスートラーランカーラ
2.ボーディサットヴァブーミ
3.シクシャーサムッチャヤ
4.ボーディチャリヤーヴァターラ
5.ジャータカマーラー
6.ウダーナヴァルガ
などを説いたので、これらの六つは「カダム派六宗典」と呼ばれるようになった。「カダム派」という名前が世に広く広まったのも、ポトワの時代からであるといわれる。
ポトワは1027年(または1031年)に生まれ、1105年にこの世を去った。
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