カダム派史(8)「ドムトンと、ラデンの座主」
8.ドムトンと、ラデンの座主
ドムトンは、顕教と密教の両方に深く通じていたが、密教に関しては非常に慎重に隠し、多くは語らなかった。
ドムトンがこの世を去った後、ネルジョル・チェンポが、ラデンの座主(僧院長)となった。
ネルジョル・チェンポはアティーシャの乗馬の世話や家の中の仕事をしていたが、ナムツォで初めてアティーシャに出会って以来、アティーシャの法をよく学び、奉仕の間も修習を怠らなかった。アティーシャの「二つの真理」の見解については、ドムトン以上に熟達していたといわれている。
ネルジョル・チェンポは、1065年から1078年まで、14年間にわたって座主を努めた。ラデン寺の下庭の完成をはじめとして、ドムトンがやり残した仕事を完成させるために努力した。初めのうちは少しの困難も生じたが、後に福徳が増大し、使命を果たし終えて、1078年にこの世を去った。
ネルジョル・チェンポの後には、ゴンパワ・セン・ワンチュク・ギャルツェンが、5年にわたって座主を努めた。
このゴンパワは、ナムツォにおいてアティーシャに会いに行き、100枚の絹を供養して、
「修習に関するウパデーシャをお与えください。」
と願った。するとアティーシャは、
「私の食物を食べなさい。」
と言った。ゴンパワが
「私は自分の食べ物を持っています。」
と答えると、アティーシャは、
「あなたが私の食物を食べるなら、修習のウパデーシャを伝授しよう。しかしそうでなければ伝授しない。」
と言ったので、ゴンパワはアティーシャから食物を頂いて、アティーシャの伝授を受け、その教えをよく修習した。
後に多くの障害が生じたが、アティーシャがそれらを排除した。こうして修習した瞑想の力によって、ゴンパワは、多くの神通力を身につけた。
あるとき、身毛一つ動かすことなく三日間瞑想をし続けたので、弟子たちは、ゴンパワが死んでしまったのではないかと思った。するとゴンパワは突然立ち上がり、
「少しばかり体の調子が良くなかったので、風(生命エネルギー)を保持していたのだよ。」
と言った。
ゴンパワは1016年に生まれ、1082年に、67歳でこの世を去った。
ゴンパワの死後、しばらくラデン寺の座主を努める者がいなかったが、後に、利他行に励んでいたポトワが招かれ、三年間、座主を努めた。しかしあるとき、カムパ・ゴンチュンという者が、「ポトワは中身のない口上手な男だ」という悪口を言いふらした。それを知ったポトワは、夜中にこっそりラデン寺から去っていった。
その後、二、三の者がラデン寺の座主を努めたが、いずれも早死にしてしまったので、その後、あえてラデン寺の座主を引き受ける者はしばらくいなかった。
しばらく後にマトゥンという者が座主となった。彼は長寿を保ち、偉大な事業をなした。次にドゥルワ・シンパ、その次にケンポ・ジャムチェンパが、多年にわたって座主を努めた。
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