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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第三回(14)

 で、あとは全部同じだね。戒を破る人には、戒をしっかり守らせなきゃいけない。「心が傷ついている人には忍辱(にんにく)を行なわせる」――これも厳しい言葉だね。これ、リアルに言ったらどういうことだと思います? 「傷ついてるんです。苦しいんです」――こういう人を、慰めるんじゃないんだよ。「耐えろ!」と(笑)。
 で、ここのちょっと深い意味を言うと、「心が傷ついている人には、忍辱を行なわせる」――これどういう意味かっていうとね、ちょっとこれも、厳しい言い方になるけども、「お前は、考え方が間違ってるから傷ついてんだぞ」と。つまり、「自分はこう愛されたい」とか、「自分はこう思われたいんだ。こうでなきゃいけないんだ」っていうその心が、問題なんだよと。だからそれを、表面的に慰めてもらってもなんの解決にもならない。つまり、まずあなたの心を改造しなさいと。心をしっかりと考え方を変えて、で、耐えなさいと。耐えなさいっていうのは、その耐えることそのものが、自分の心を修正してくれるんだね。
 例えば具体例で言うと、わたしが例えばね、「こう思われたい。みんなにこういうふうに褒めてもらいたい。傷つけられたくない」と。「みんなから非難されたくない」っていうことで頭がいっぱいだったとすると、当然、人からちょっと非難されたりすると、苦しみでいっぱいになる。「わーっ!」。で、ここで仏陀が現れて、「耐えろ」と。まあもちろん、実際は「耐えろ」だけじゃなくて、考え方を教えるわけだね。「それは誰のせいでもなく、お前のそのプライドのせいだ」と。あるいは、「褒められたいとか、けなされたくないっていうとらわれのせいだ」と。そんなものは実体がないと。「みんなそんなに、そんなにお前のこと考えてないよ」と。「みんな適当に言ってるだけだ」と。「適当に言ってる言葉で、お前は一喜一憂してるだけだ」と。ね。「そんなプライドにとらわれるな」と。
 で、そこで、まずその人は、まず頭で少し理解します。少しね。つまり、「あ、そういう考え方もあるのかな。わたしはちょっと心がとらわれすぎてたかな?」――でもまだ、ガチッとそのとらわれはあるから、少し理解しても苦しみは消えない。で、この苦しみを粉砕するには、その苦しみが必要なんです。つまり、「あ、そうだったのかな、おれはとらわれてたのかな?」と言いながら、バーッてまたみんなから、バーッて言われる。で、その中で耐えてると――教えが前提だけどね――教えがあって、耐えてると、あるとき、心の大きなチェンジが起きます。バーッ……バラバラバラ……「あ、そういうことですか」と(笑)。「仏陀が言いたかったこと、分かりました」と。ハッ!――「確かに今までわたしは、どうしようもないことにとらわれて、一人で苦しんでただけでした」と。つまり、脱却して初めて分かるんだね。
 だから、忍辱ね。つまりまず正しい教えが必要だけども、正しい考え方を学び、かつ忍辱すると。苦しみに耐えると。これを、苦しんでる人、傷ついてる人にはやらせなきゃいけませんよと。

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