カダム派史(1)「アティーシャの生い立ち」
チベット仏教カダム派史(要約)
第一章 アティーシャとその弟子、
特にドムトンとラデン寺の歴代座主
1.アティーシャの生い立ち
かの偉大なる師アティーシャは、インド人たちがサホールといい、チベット人たちがザホールと発音するかの大領域の王、その名をシュバシュリーという王と、シュリーマーリーチーという妃との間に、二番目の息子チャンドラガルバとして生まれた。
彼は幼いときから、聖ターラー菩薩を目の当たりに見た。
そして王家の権力に執着せず、師を求めて遊行し、黒峰山のラーフラグプタヴァジュラにへーヴァジュラ・マンダラのイニシエーションを受け、生起次第と究竟次第を堅固にした。
その後、次々に他の国を遊行して、アヴァドゥーティパ(マイトリーパ)と出会い、弟子として7年間仕えた。ウッディヤーナ国で、ダーキニーたちと共にガナチャクラも行じた。
あるとき、釈迦牟尼世尊が多数の弟子とともに夢の中に現れ、「汝は何に執着して出家しないのか」と告げた。そこでアティーシャは、「もし私が出家するならば、仏教の大利益となるだろう」と考えて、ヴァジュラーサナのマティ寺において、ブッダジュニャーナパーダの伝統を相承した大衆部の長老であるシーララクシタという人物から具足戒を受けて出家した。そのとき29歳であった。
それから31歳になるまで、根本四部の三蔵の大部分を聴聞し、その実習に精通した。またオータンタプリーにおいてダルマラクシタ師に付き、マハーヴィバーシャーを12年間学んだ。この師はシュラーヴァカであったので、七日ごとに住居を変えた。
パーラミターヤーナとマントラヤーナに関しては、次のような師から学んだ。
ジュニャーナシュリーミトラ、クサリー、ジェーターリ、クリシュナパーダ、ドーンビーパ、コーキラー、マティジュニャーナボーディ、ナーローパ、ミチェンポ、ブータコーティパ、ケーパチェンポ、プラジュニャーバドラ、バドラボーディ、ラトナーカラシャーンティ、ダルマキールティ。
そしてアティーシャはヴィクラマシーラの大長老となり、名声が広まった。
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