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イエス・キリストの生涯(3)

◎最初の光の一筋

 主が十二歳のとき、ヨセフとマリアは『過越の祭り』に参加するために、彼をエルサレムへ連れて行きました。イエスは寺院やそこにいた神官の法話に非常に興味を持ち、神への思い、神の法に夢中になりました。それは、両親が寺院を出てナザレに向かっているときに、彼だけこっそり寺院に戻ってきて、宗教的事柄を論じ合っている教師たちの集まりに加わったほどでした。そのような哲学の大家とされるような教師たちも、イエスの言葉を聞いて驚嘆しました。
 ヨセフとマリアは、イエスが自分たちのあとについてきていないことに気づきました。慌てて彼らは寺院へと引き返し、そこにいたイエスを見つけたのでした。マリアは、何も言わずにいなくなったイエスを優しく叱りました。そしてイエスは、驚くべき不思議な言葉でそれに返答しました。

「わからなかったの? 僕はお父様の仕事をしていたんだよ。」

 優しい両親はこれを聞いて当惑してしまいました。

 その後、約十四年間、イエスはインドで、ヒンドゥーあるいは仏教の修行者のように暮らしました。彼は燃えるような離欲、放棄の精神を持っており、インドで、ヒンドゥーの理想、教義を吸収しました。キリスト教徒たちの中には、イエスの『空白の期間』についてのこの解釈を信じない人もいます。彼らは「それは特に聖書に書かれていない」と主張するのです。約二十一世紀も前に生きていた人たちに関することなのですから、見解にいくらかの相違ができるのは仕方がありません。旧約聖書には当然、これに関する参考文献のようなものは記載されていません。新約聖書は、イエスが悟った後にイエスの弟子たちによって書かれた福音書から構成されているので、それよりも前の時期――イエスがインドを旅し、聖仙や預言者たちからイニシエーションを受けていた時期――に関する参考文献を、イエスの若年期について全く知らない人たちが書いた彼の伝記の記述の中に探すことなど、明らかに無駄なことです。『空白の期間』のある時期に、イエスがインドを旅していたということは、多くの歴史学者によって信じられてきました。この見解について支持できない理由というのはまったく存在せず、これを受け入れることは、東洋と西洋の愛の絆をより強くし、主の使命である二つの半球の間の友好を促進することでこそあれ、何も悪いことではありません。

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