yoga school kailas

勉強会講話「聖者の生涯 ナーロー」⑤(5)

 これはわたしの経験としても言えるけどね。わたしはいつも言うように中学生ぐらいから修行してきて、で、カイラス始めたのは最近っていうか七年前ぐらいだけども、もっと前からいろんなヨーガ教室とかの手伝いをしたりだとか、あるいは個人的に人に教えたりもしてたわけだけど。その過程でわたしも、今言ったような話もそうだし、あるいはもっと酷いこともあった。酷いっていうのは、さっき言ったのは、もう一回言うけども、別に意識が突っ込んじゃっておかしくなるって話をしているわけじゃないんです。現実の中でちょっと観念が崩れてくるってことを言ってたんだけど。じゃなくて本当に突っ込むこともあるわけだね、当然ね。瞑想世界に突っ込んで、もう世界が全く違う見え方するときも当然あるんだね。その中でも普通に対応できるんです。キャパシティがあればね。
 でもキャパシティが狭かったらそういうことはできません。ちょっとこう世間でやっていけない人になる可能性はあるね。つまりその人が菩薩行とかやってなかったら。あるいは、言ってみればもっと酷い場合、その人が徳がなくて心のけがれがひどい場合は、精神病院に入れられる可能性もあります、それはね。つまり、その人が菩薩行とか全くやってなくて徳もないと。で、心のけがれも酷いと。この状態でそういう世界に突っ込んだ場合、そういう世界っていうか深い意識に突っ込んだ場合、精神病院に入れられる可能性があります。
 じゃあそういう人は精神病なのかっていうと、実はそうじゃないんです。その「お前、精神病院行け」って言われてる人を、飛行機に乗せてヒマラヤに連れてったら、聖者扱いされるかもしれません(笑)。「お前、そんな領域までいったのか?」と。「すげーな」と。で、その人は「ああー……」とかやってるわけだけど(笑)。でもこれは確かにすごいんです。でもすごいんだけども、言ってみれば例えで言うと、細ーい道が上に通った人なんです。細ーい道です。だからその人はその細ーい世界で生きているうちは大聖者です。で、ちょっとでもぶれると、ぶれてその世界からちょっとはみ出すと、ただの気違いになります。これはだから聖者だけど、周りには何の恩恵もない聖者だね(笑)。本人はいいんだけどね。いや、本人もあんまりよくないね(笑)。つまり高い世界と繋がっているけども可能性が薄いっていうか。また悪い世界に落っこちる可能性も高い。
 だからもう一回話を戻すけども、みんなの場合ね。みんなの場合っていうか日本で生きている場合ね。みんなが仮にね、ここにいる人たちが将来ヨガの先生とかやってもですよ、同じです。だってヨガの先生をやってたって、それは社会だから、ね(笑)。まあ、みんなだけならいいよ。「もう新人募集しません」とかならいいけど。そしたらみんな分かってくれるから。例えばわたしが「ワアー」とかやってても「あ、先生、すごい領域に入っているな」って(笑)

(一同笑)

――なるかもしれないけど(笑)。でも無料体験とかきたら大変だよね(笑)。「あれ? ここ、どういうとこなんだろう?」と(笑)。例えば、まだMくんとかKさんとかまともだったとした場合、MくんとかKさんとかが普通に「はい、無料体験です。うちの先生すごいんですよ!」とか言って(笑)、

(一同笑)

 わたしが「ワアー」って言ってたりしてたら(笑)、「えっ? ここどういうところですか?」となってしまうよね(笑)。だからヨガ教室やろうが、あるいは皆さんが普通に会社とかで働こうが同じ――つまりわれわれのカルマとしてね、この世間の中で自分を保ちながら、そういった究極の世界に切り込んでいかなきゃいけないと。で、そのためには何度も言うけども、菩薩行が一番いいんですね。これはちょっと論理的じゃないところがあるんだけど、でも結論として言うなら菩薩行が一番いい。
 つまり皆さんが単純なる自分の心の浄化、あるいはエネルギーの上昇とかそういう面だけではなくて、自分の心を慈悲とか――まあ何度も言うように『入菩提行論』なんかは一番いいテキストなわけだけども、ああいうのをしっかり読んで、あの通り生きようとする実践ね。それをしっかりやることによって、皆さんのキャパシティは広がります。で、それによってある意味安全に、そしてこの世間にいながらやっていけるようになる。
 ただ、やっていけるといっても、辛いことは辛いかもしれないよ。でもやっていけます。さっきのわたしの虫歯の話じゃないけども(笑)、辛いことは辛いわけですよ。「痛てえなあ」と(笑)。でも別に普通にやっていけるんです。普通に何事もなかったように勉強会が進むっていうか。同じように、世界が変わって見える。完全にガラガラって崩れてしまって、「何だこりゃ?」っていう感じなんだけども、普通に仕事できます(笑)。普通に営業とかできます。普通にやって、でも家に帰って一人になったときに、「うわっ、なんだこれは!?」と(笑)。「いやあ、今日みんなの前でちょっと普通にやってたけども、あのお客さんの存在が疑わしかった!」とかね(笑)。

(一同笑)

 ――そういう感じになるんだね(笑)。でも何とかやっていけるんです。でもそれがね、いってみれば、ちょっと今冗談みたいに言ったけど、逆にいうとそれくらいになったらそれはとても素晴しいことです。それくらいになったら、みんなにとってはすごいメリットです。もうあと一歩だからね。あと一歩進めばまたちょっと落ち着いてくるんです。ここではだから一段高い段階で落ち着くんだね。それほど心がうわーってはならないんだけども、ちょっと前とはまた見方が変わってくる。そうしたらもちろん、またしばらくしたら次の問題がやってくるわけだけど。
 で、もう一回言うけども、その一つ一つの問題っていうのが、全く別次元だっていうことだね、言いたかったのは。つまり例えば、「誰々さんに対する嫌悪がなくなったら、次、誰々さんに対する嫉妬が出てきた」とか、そういうレベルじゃないっていうことだね。全く別次元の問題が次に出てくるんだね。

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