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アーナンダマイー・マー(2)

 この地方の慣わしで、ニルマラーはまだ幼いころに結婚しなければなりませんでした。その相手は正統なブラーフマナ階級の者でなければならず、また、インドの伝統で新妻が持参する持参金も、家計の事情から、最小限に抑えなければなりませんでした。
 このような条件の下に両親は念入りに捜索し、ラマニ・モーハン・チャクラヴァルティという男を、ニルマラーの結婚相手として選びました。彼は後にはシヴァ神の別名である『ボーラーナート』という名前で呼ばれました。

 こうしてニルマラーは、1909年2月7日にボーラーナートと結婚したのでした。それはニルマラーがまだやっと13歳になろうかというころのことでした。ボーラーナートの正確な年齢は不明ですが、ニルマラーよりもかなり年上だったことは間違いありません。
 結婚後5年間は、二人は一緒に住むことはありませんでした。
 ボーラナートは基本的な教育を受けており、結婚したときの職業はアティパーリアーという街の警察官でしたが、結婚の数ヵ月後に警察官を辞め、その後は職を転々としながら、東ベンガルのあちこちを放浪していました。
 
 ニルマラーは1910年までは両親と一緒に暮らしていましたが、14歳になったとき、シュリープルという村にある、ボーラーナートの兄の家へと行くことになりました。
 新妻は普通は夫の母から、妻としてのさまざまな教育を受けるわけですが、ボーラーナートの母親は、二人の結婚の二年前に亡くなっていました。そこで、ボーラーナートの一番上の兄であるレーヴァティー・モーハンの妻であるプラモーダー・デーヴィーが、ニルマラーの花嫁教育を担当することになったのです。

 ニルマラーの愛らしさと幸福な雰囲気は、この家でも皆を魅了し、プラモーダー・デーヴィーとレーヴァティー・モーハンは、ニルマラーのことが大好きになりました。

 ニルマラーは、家のすべての雑用を引き継ぎ、針仕事や機織りその他をこなしましたが、特に料理においては抜群の才能を発揮しました。
 また、洗い物や家の掃除においては、非常にまじめに全力で激しく取り組んでいたため、ニルマラーの手はいつもあざだらけになっているほどでした。
 このように、この家庭におけるニルマラーの奉仕は、常に完璧でした。それらのことをニルマラーは、自然な献身の心で行なっていたのでした。ニルマラーはすべての雑事を完璧に行ない、ほかにやることはないかと、プラモーダー・デーヴィーにたずねました。プラモーダーは感心していつも、家庭の主婦がやるべきことは他にはもう何もないと答えるのでした。

 ニルマラーが後に聖女として有名になった後、彼女はこの義理の姉のプラモーダーをたずね、この当時の幸せな日々について思い出を語り合ったことがありました。このシュリープルでの4年間の日々は、ニルマラーの人生の中でも、忙しくも、のどかで穏やかで幸福な日々だったのです。

 ニルマラーの霊的な資質の現われも、このころはまだわずかに現われるだけでした。彼女はたまに、不意にトランス状態に入りました。たとえば台所などで、無意識の瞑想状態に入っているニルマラーを、プラモーダーが発見することがありました。しかしプラモーダーは、特に驚きませんでした。ニルマラーがいつも激しく働いているので、疲れて寝てしまっているのだと思っていたのです。

 レーヴァティー・モーハンが亡くなった数ヵ月後の1913年、シュリープルでのニルマラーの生活は、終わりを告げました。
 その後ニルマラーは実家に帰り、両親と一緒に約六ヶ月暮らした後、1914年、東ベンガルのアシュタグラーマという地で、初めて、夫であるボーラーナートと一緒に暮らし始めたのでした。

 

 ニルマラーとボーラーナートの結婚生活は、とても風変わりなものとなりました。

 ボーラーナートは、ニルマラーを一般的な普通の村の少女だと思っていましたが、まず彼女がほとんど学校教育を受けていないと知り、失望を覚えました。そこでボーラーナートはニルマラーに本をプレゼントし、教養を身につけさせようとしましたが、彼はすぐに、ニルマラーには一般的な学問を追求する傾向がほとんどないということに気づきました。

 また、ボーラーナートがニルマラーに最初に夫婦としての肉体的な接触をしようとしたとき、ニルマラーは激しくそれを拒否しました。ボーラーナートはこのときは、ニルマラーがまだ子供なので、これは一時的なことであり、そのうちに正常な女性のようになるだろうと考えていました。しかし結局、この後も二人は一度も肉体的な関係を持つことはありませんでした。ニルマラーは、まったく性欲を持っていなかったのです。

 後に、ボーラーナートの死後、1938年に、アーナンダマイー・マーは、彼女の最も親しい信者の一人であったディディに、自分たちの結婚生活を回顧してこう言いました。

「ボーラーナートの心の中には、わずかな世俗的な考えの影さえも、決してありませんでした。夜、一緒にベッドで寝るときも、マローニ(ボーラーナートの姉の孫娘)と一緒に寝るときのように、子供に対するような純粋な姿勢しか見せませんでした。
 あなたは、何度も見たことがあるでしょう。夜、この体(アーナンダマイー・マー自身のこと)が神の至福のサマーディの状態に入り、その近くにボーラーナートがいたことを。彼は戸惑うことなく、至福のサマーディに入っている私の体を警備するかのように、気を配ってくれていました。
 最初のころ、この体が至福のサマーディの状態に入ったとき、それは一般的には仮死状態のように見えるので、ボーラーナータは非常に驚いたようです。しかしそのうち、マントラや神の名を唱えることで、この体を通常の意識に戻すことができるということを彼は知ったのです。」

 人々は、ボーラーナータが禁欲生活を送ることができたのは、ニルマラーの神秘的な力によるものだと考えるかもしれませんが、ボーラーナータ自身も、極度に自己をコントロールする能力があったのは明白です。
 そもそも、一切の肉体関係を持たないというこのような夫婦生活を、ボーラーナータが喜んで受け入れていたという事実を見ても、ボーラーナータも普通の人物ではなかったということが推測されるのです。

 これは特にインドの社会の中では、驚くべき変則的な現象であったことを、心に留めなければなりません。なぜならインドの社会は伝統的には男尊女卑の傾向が強く、女性は常に男性に従うものという常識があったので、ニルマラーの禁欲的傾向にボーラーナータが素直に従ったというのは、まさに驚くべきことだったのです。

 ニルマラーは清純な禁欲生活を貫きましたが、それ以外に関しては夫のボーラーナートに対して常に従順で、彼を神と見て崇拝さえしていました。

 とはいえ、この夫婦の関係は複雑でした。ニルマラーは日々、影のように従順に控えめに夫に尽くしましたが、一方、精神的な修行においては、常にニルマラーが夫を指導する立場にあり、後には正式にニルマラーはボーラーナートのグルになったのです。

 ニルマラーの母親は、彼女にこう言いました。
「あなたは、あなたの両親として夫を見、仕えなければなりませんよ。」
 
 ニルマラーは母の言いつけどおり、能率的に家庭の任務を遂行し、通常はあらゆることにおいて夫に従っていました。しかし時にニルマラーは、突然に神の意思を感じ、ある行動をとらなければならないと感じることがありました。このようなときは、どんな人が反対したとしても、ニルマラーは神の意思を遂行しました。
 もちろんこのような場合も、ニルマラーはまず夫にその行動の許可を求めるのが常でしたが、夫がそれに同意しなかったときも、あきらめずにあらゆる方法で夫に賛成をさせようとするのでした。

 後に、ニルマラーの霊的資質が世に知られ、アーナンダマイー・マーとして有名になってからは、彼女は夫と離れて、他の男性のスタッフとともに、インドの各地に呼ばれて旅行することもありましたが、そのようなときにも常に彼女は夫の許可を求め、『正しさ』を保つのでした。

 また、アーナンダマイー・マーの祝福を受けようと、男女問わず多くの人々が彼女の元にやってくるようになりました。通常、インドの伝統では、女性は外部の人々の目にはあまり触れてはならず、特に若い人妻は常にヴェールで顔を多い、夫以外の男性にあまり顔を見せてはならないとされていましたが、ボーラーナートは非常に寛大に、人々がアーナンダマイー・マーと触れ合い、祝福を受けることを許したのでした。

 しかし彼女の友人や親戚たちは、このような状況を見て、彼女に厳しい批判を浴びせました。

 また、結婚していながら禁欲を守り続けるというニルマラーの精神的な特徴が明白になったとき、ボーラーナートの親族たちは彼に、ニルマラーと別れて、ちゃんと息子を産んでくれる『普通の妻』を見つけるように促しました。それに対してボーラーナートは反抗し続けましたが、ボーラーナートは親戚たちのことも大好きだったので、狭間に立って苦しめられました。

 ボーラーナートは、性生活を行なって子供を生むという妻の役目を果たせないニルマラーと、周りから反対されながらもなぜ死ぬまで一緒にい続けたのでしょうか? ――もちろんそれは、彼がニルマラーから受ける霊的な祝福と、それによる彼自身の精神的・霊的達成が、彼が味わうことのできなかった普通の夫婦のセックスや子供を得る喜びを、補って余りあるものだったからです。

つづく

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