すべてが導き
大いなる罠は、成功と失敗。
そして、称賛と非難。
快楽と苦痛。
しかし、消極的に生きる者は、罠にさえも至れず、
罠を超えることもできない。
積極的に堂々と生き、
かつ、自我の非存在性を理解せよ。
どこに「私」がいるのだ?
成功と失敗、称賛と非難、快楽と苦痛などは、
自我意識を強める大いなる罠となり得ると同時に、
自我の非実体性を発見する大いなるチャンスともなる。
ここには私はいない。
あそこにも私はいない。
しかし日常は流れ続ける。
ただ神のリーラーとして。
真理を求め、神の僕として自己を純粋化しようと努力していると、
自我意識は薄まりつつも、神の意思を実感できるチャンスが与えられる。
ここに私はいない。
どこにも私はいない。
しかし神を思い、涙がこみ上げる。
泣いているのは誰か?
歓喜しているのは誰か?
それを考えるだけで
至福に包まれる。
この肉体など、すぐに終わる。
あなたが今持っている物は、一瞬の幻。
あらゆる経験を、神への捧げ物とする。
成功と失敗、称賛と非難、快楽と苦痛などの経験により、
心の構想力は展開し、希望と恐怖が回転し、
根拠のない「私」意識が強まる。
投げ出せ。
バクティ・ヨーガ、神の僕となること、すべてが神の愛であること、
これらの教えに出会ったあなた、これらの教えを少しでも理解できたあなたは、
大変恵まれている。
なぜならこれは非常に優れたヒントだから。
出会うことの希な、理解できることの希な、ヒントだから。
投げ出すのだ。
もともと「私」などいない。
誤解を恐れずに言えば
ただ一人の神しかいないのだ。
苦難や非難を受けることは、悪いことではない。
それは時に、重大な幻影のヴェールを壊してくれる。
しかしそのためには、日々、真剣に生き、
誠実に、自己の道を進むことが必要だ。
自己を島とするということは、決して、自己のエゴをよりどころとするということではない。
誠実に、自己の歩む道を、自信を持って堂々と歩むということだ。
投げ出せ。
投げ出すのだ。
菩薩になればいいじゃないか。
この人生を、菩薩行に捧げるのだ。
菩薩の教えを学び、堂々と、その通りに生きるのだ。
そうすれば、何も怖いものはない。
悪いカルマが多くあると、実際に多くの否定的現象が生じるので、
しばらくは、上記のようなことを日々認識するのは、少し難しいかもしれない。
だからこそまずは、日々、教学、善行、戒律、懺悔、忍辱などの実践に励むのだ。
そして心を強くしなさい。
真の精神世界、仏教、ヨーガの道は、強い心でないと進めない。
今、心が弱いなら、強くなればいい。
強くやさしい人になるんだ。
そして、投げだそう。
菩薩行に、そして神の僕であることに、
この人生を投げ出すのだ。
すべては神の愛。
だから安心して進もう。
さあ、今日を境に、きっぱりと、
自己と他者に不利益なことは、やめよう。
疲れたら、しばらく倒れるのは仕方がないよ。
しかしまたすぐに立ち上がり、
自己と他者に利益のある道を、全力で進め。
人はいつ死ぬかわからないのだから、
今夜死ぬのだと考えて、
最高の生き方を選択するのだ。
私を苦しめてくれるものに、感謝します。
私を導いてくれるものに、感謝します。
すべての現象に、感謝します。
その背後にいらっしゃる、唯一のお方に、すべてを捧げて帰依いたします。
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