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「解説『至高のバクティ』」第4回 「バクティ」⑤(3)

 で、もう一つ加えると、ちょっと話が広がるけど――今のは入れられる情報の話ですけども、逆に自分の悪いものがあって、これを出す修習も駄目です。出す修習っていうのは、これはよく言われる、まあここでは何回か言っているけども、一般的な例えば間違ったスピリチュアルにしろ、あるいは精神的な教えとかでは、よく自分の中にあるストレスとか、あるいは悪い思いとか感情は出しちゃった方がいいんだという人がいる。その方がすっきりするという人がいるけど、これは当然間違いです。出せば出すほど転落します(笑)。なぜかというと、それによって自分が染まってしまうから。これは入れられる情報じゃなくて、自分でそれを修習してしまうことによってどんどん悪くなっていくっていうパターンだね。これも駄目だね。
 だから徹底的にその――だからすべて情報なんですけどね。自分の内から出た情報、あるいは外から入ってくる情報。これはすべて悪しきものは全部シャットアウトする。で、善きものだけを入れる。善い人だけと付き合う。最後に言ったのは、心にある、――心にだって――もう一回言うけども、いいものも悪いものもあるわけですよ。その悪いのを出してもしょうがない。で、われわれの悪いカルマがあると、その悪いのを出したくなるんだね。「ちょっとくらいいいじゃないか」と思ってしまう。この「ちょっとくらい」が本当に取り返しのつかないことになる。これによってグワーッて自分の心が染まってしまうっていうかな。
 これは前も言ったけどさ、わたしのバルド経験というか瞑想における死後の世界の経験とかでいうとね、聞いたことない人もいると思うのでもう一回言うと、例えばわれわれが死んだあとね、入る「バルド」と呼ばれる世界っていうのは、一瞬ですべて変わるんですね。一瞬ですべて変わるっていうのは、例えばいいカルマが出てね、もう本当に至福の慈愛に満ちた真っ白い光輝く世界にいて、「ああ!」って思ったんだけど、ふとほんの一瞬、例えば悪しき思いが沸くと。悪しき思いっていうのは、ちょっと憎しみであるとか、あるいは「ああ、あれ独り占めしたかったな」とかね。ちょっとした悪しき思いがこの空中に、至福の空の空中にゴミのように一点パッと沸いた瞬間、バッとすべて変わるんです、闇に(笑)。
 これはちょっとボキャブラリーが貧困だけども、わたしはあんまりパソコンのそういうソフトは詳しくないんで、ウインドウズに付いているおまけのソフトの「ペイント」ってありますよね(笑)、あのペイントで、ちょんってやってすべてバーッてこうなるよね(笑)。ああいうイメージ。ちょっとそこを塗るってやると、その閉ざされた空間が全部その色に染まる。そのイメージね。だから非常に怖い。これがだからさっきから言っていることです。これが、バルドというのは本当に潜在意識の奥の奥に入った世界なのでそれがリアルに見えるんだけども、われわれ今普段表層で生きていて、この仕組みは隠されているんだね。表層では普通に何事もなく起きているような感じがするんだけど、潜在意識で今言ったことが起きているんです。
 例えばY君が修行いっぱいしてね、潜在意識は見えないけれども光で満ちた空間になっているかもしれない。表層はいつものY君なんだけど。光に満ちた空間になっていて。で、そこでY君が何か悪い情報を入れたりとか、あるいは悪い思いを肯定してガッて一瞬でも出したときに、潜在意識がブワーッて真っ黒に染まっているんです。表層は固いからあんまり変わっていないように見えるんだね。でも非常に実は取り返しの付かないことが奥で起きてて(笑)。で、それは放っておくとどんどん定着していくから、どんどん帰れなくなるっていうかな。
 だからこの最後に言ったことは大事ですね。まとめると――もう一回言いますよ――外的な、自分を引き下げるような人にしろ情報にしろ、それは本当にもう極端なくらい避けなさいと。
 逆に自分を引き上げる情報、あるいは人と接するようにすると。
 で、逆に今度は内側にあるその情報のアウトプットに関しても、どんどんどんいいものを出していったらいい。いいものに関しては逆に恥ずかしがらずにどんどん出したらいいですよ。恥ずかしがらずにっていうのは、恥ずかしがらずにっていうか、若干「偽善かな?」と思っても構わない。あるいは若干「いや、おれは本当はこんなあれじゃないんだけどな」というのでも構わないから、本当に心からいつも人を愛してね、あるいは人のことを親切を考えて、あるいは人の幸せを考えて日々生きると。あるいはもちろん日々神のことを考えて、もう無理矢理でも構わない。無理矢理いつも神のことを考える。あるいは無理矢理、教えのことを考える、あるいは無理矢理でもいいからみんなの幸せを願うと。この無理矢理でもいいのでアウトプット作戦が大事なんだね。これやっているうちにさっきとは逆にブワーッと自分の心が自分の気付かないところで変わっていきます。
 逆に自分の中の悪しきものは出さない。これは完全に無視です、無視。なかったことにしてください。何か悪魔の囁きが聞こえても聞こえないふりをする(笑)。「さあ、今怒るべきだぞ」とかね。「今自己主張しないと!」とか悪魔が言ってきても、ヒューッて口笛吹きながら。

(一同笑)

 聞こえない振りをする(笑)。「(耳に手をあてて)ああああ……」とか言って(笑)、聞こえないふりをする。あるいはもちろん徹底的にシャーンティデーヴァみたいに真っ向から戦ってもいいよ。「お前などにわたしを倒せるわけがないだろう」と。「勝利を得るまではわたしは踵を返さない」と。悪魔をズタズタに切り刻んで、「そんな魔の行為には乗らないぞ」と。修行者はやはりその意識を持ち続けるべきですね。
 で、もう一回言うけども、それは第一に自分のためです。もちろんみんなのためにも結果的になるんだけども、まずは自分が幸せになりたいんだったら、あるいは自分の善き要素を増やし、聖なる存在になっていきたいんだったら、日々の本当に修習を気を付けることが大事なんだね。

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