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「解説『至高のバクティ』」第4回 「バクティ」⑤(2)

 で、もう一回言うけど、自分はそんなこととは関係がないと思っていても、確実に影響受けます。というのは、いつも言うようにね、「自分の心とは何だ?」という瞑想すると分かるわけだけど、心って結局情報の集まりに過ぎないんだね。情報の集まりに過ぎないってことは、いつも言うように、今入れている情報、これも今の自分の心を形成しているわけです。実際には境目がないんですね。わたしという何かがあって情報があるというよりは、海みたいなものがある。海みたいに全部一帯つながっていて、何となく「ここまでが日本海ですよ」みたいに言っているだけで、なんとなく「ここまでがわたしの心ですよ」と言っているだけで、カルマによって巡り合った誰かの心の状態というのはね、われわれがそれに接触すると当然そのまま影響を受けてしまうんだね。
 で、この影響っていうのは本当に怖い。本当にその――怖いっていうのはもちろん自分の中にその種があるからですよ。例えば怒りっぽい人と出会って、怒りっぽい人と接していたら、自分もなんかカッカしてきたと。当然これはもともと自分の中にあったからですよ。あったものが情報によって引き出されちゃったんだね。つまり自分の中には結局いいものも悪いものもあるんです。解脱したりとか完全な悟りを得たら別ですけども、そうでない場合は多くのいいこと、いい心、悪い心が眠っているわけだね。で、その何をアウトプットするかというのはさまざまな二次的条件ね、つまり誰としゃべったかとか、どんな環境に置かれていたかとかね。
 もちろん念正智っていう意味では、どのような状況においても自分の心を真理に結び付けると。もっと積極的に言うと、変容してしまうというかな。変容してしまうっていうのは、仮に例えば自分の悪いものが出そうな環境になっても、それを智慧によって、逆にいい方に変えてしまうというかね。怒りが出そうになっても「いや、ここは慈悲である」と。あるいは「ここはこの苦しみに対し感謝しなきゃいけない」とか。その念正智をしなきゃいけないんだけど――で、それはいいんだけども、そうじゃなくて念正智の方向性を間違わせるような悪友がいるわけですね。例えば単純にわたしのことを馬鹿にしてくれる――あのさ、分かると思うけど、例えば皆さんを馬鹿にする人が現われたらこれは悪友じゃないですよ。これは逆に皆さんのカルマを落としてくれる素晴らしい天使かもしれない。ここで悪友と言っているのは、例えば極端に言えば、誰かが皆さんに悪口を言ってきて、例えばY君に悪口を言ったときに友達が来てね、「あついひでえよな。あんな奴どっか行っちまえばいいよな」とY君に言うと。Y君はさっきまでは慈愛とか言ってたんだけど、そう言われちゃうとなんとなく付き合っているうちに「そうだな」と(笑)。ちょっと「やっぱりどっか行ったらいいな」みたいな気持ちがちょっと出てくるわけだね。これが悪友なんです。この自分の悪いものを引き出してくれる友というかな。
 もちろんそれはもう一回言うけど、そういった実際は人間だったり、もちろんただの情報だったりするときもある。本を読んだり、あるいはネットとかでそういうのを見ると、自分もなんか「そういえばあのときこうだったな」と。「ちょっとあれが許せなくなってきた」とか出るわけですね。
 だからもう一回まとめるけども、われわれは本当に自分で考えている以上に、付き合っている人、あるいは情報交換する人の影響を非常に受けるんだね。だから善き友と交わりなさいと。
 逆に善き友っていうのはもちろん完璧じゃなくていいよ。もちろん師匠とか、あるいは完璧な聖者とかは最高ですけども、そうじゃなくて、皆さんみたいに、お互いにまだけがれはあるけども法友がいると。なぜこの法友はオッケーかというと、つまりベクトルが同じだからです。ベクトルが同じ友っていうのは、お互い欠点があったとしてもね、欠点を補い合いつつ一緒に進んでいく仲間だから、それはオーケーなんですけども。じゃなくて全然ベクトルが違う、縁ある人っていうかな。これはその――もちろん、だからと言ってすべて避けるわけにはいかないでしょうけども、工夫してね、特に最初のうちっていうかな、自分の修行者としての意識がしっかりと固まらないうちは、この悪友を避けなさいと。善友と交わりなさいという教えは徹底的に重要な教えとして自分の中に入れるといいと思うね。
 もう一回言うけども、それプラス情報も駄目です。だから情報もできるだけ皆さんは、無意味に入れないっていうかね。入れなきゃいけないときは、仕事とかでしょうがないかもしれないけど、無意味に自分の心をけがすような――本当に何度も言っているけど、情報は怖いです。わたしも何度も若いころとか経験があったけども。本当にふざけてっていうか軽い気持ちで――皆さんも経験あるだろうけど、もう一行でも駄目です。一行もしくは一瞬の何かね、例えば……ちょっと細かいことは憶えてないので曖昧にしか言えないけども、なんか非常に神聖な意識があるときね。神聖な意識があるんだけども、ネットとかでね、何となく、別にそんなに興味があるわけではない。で、今自分は非常に神聖な意識であると。神聖な意識であるしそんな興味があるわけではないんだけども、何となく面白半分でちょっと世俗的なものを見てしまった――その一瞬でガーンって気が落ちたりするんだね。ちょっと戻れなくなったりする(笑)。「さっきのは何だったんだ」みたいな。
 で、これは逆に言うと気がすごい上がってたから分かりやすかったんだけど、で、普段はそれが分かりにくいだけであって、そういうものすごい影響ってやっぱり受けているんだね。
 だからバクティヨーガとかでの理想は、「二十四時間常に神を思いなさい」と。あるいは「神の御名を唱えなさい」とか、あるいは「神のリーラーや聖典を読み続けなさい」と。「聞き続けなさい」と。「その話だけをしなさい」とか言われるわけだけど。それだけ情報は怖い。

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