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スワミ・トゥリヤーナンダの書簡集(23)

                             1912年12月29日
                             ヴァーラーナシーにて

 親愛なるシュリーダル[スワミ・ニルパマーナンダ]へ 

 12月22日付けのあなたの手紙を受け取りました。
 愛欲と怒りの領域、それがアヴィディヤー、つまり無明なのです。パタンジャリは無明を以下のように定義しています。「非永続的なものを永続的と、不純なものを純粋と、苦しみを喜びと、そして我でないものを我と見なすこと――これが無智である。」[Ⅱ.5]

 言い換えるなら、人に非実在の世界を実在と、不純な肉体を純粋と、苦しみの感覚を伴う幸福を喜びと、妻や子供を――実際には自分のものではないものを――自分のものと感じさせるものが無明です。これらの間違った認識は無明によって生じます。このアヴィディヤーには始まりはなく、それが生じた時を突き止めることはできません。人が神の恩寵によって明智を得るまでその感覚は終わることもなく、それは存在し続け、壊れることはありません。この無明がわれわれを神に向かわせないようにするのです。ゆえに、クリシュナはギーターの中でこうおっしゃっています。
「だが、私にすべてをゆだねて帰依する人は、簡単にその危難を乗り越えられるだろう。」[第七章、第十四節] 
 われわれの義務は、彼に帰依し、神中心の生活を送ることなのです。

 スワミ・ヴィヴェーカーナンダが言っていたことは真実です。
「神への献身はすべての人の中に眠っています。愛欲とお金のヴェールが取り除かれるとき、それはおのずと現われます。」
 そのヴェールを取り除こうとする試みがサーダナ、つまり修行と呼ばれ、そしてこのヴェールが消えるとき、クンダリニーが目覚めます。もしあなたが自分の心をあらゆるものごとにまき散らすなら、何も達成されないでしょう。あなたの選んだ道に心をしっかりと固定し、そしてそれを通じて解脱と献身を獲得すると決心してください。そのとき初めて、あなたは成功します。

 わたしはあなたに何度も言ってきましたが、あなたは聴こうとしません。なら、わたしは何ができるでしょうか? あなたは自分の好きなようにしてください。あなたには自分のグルを選んだり、サーダナーの方法に従う選択肢があります。どうかこのことに関してこれ以上質問しないでください。わたしは何度となくあなたにこう書きました。
「篤い信仰心持つ人は、感覚の欲望を制御することで、この無上の叡智を得、速やかに至高の平安の境地に至る。」[ギーター 第四章、第三十九節]
「だが、無智にして信仰もない者や、その完全なる叡智の存在を疑う者は、この世でもあの世でも平安を得られず、常に不幸となることであろう。」[ギーター 第四章、第四十節]

 これらは神の言葉です。では、あなたの好きなようにしてください。

                           愛と最高の願いを込めて
                           トゥリヤーナンダ

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