「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第11回(7)
◎正法を修め取る法
【本文】
またラトナメーガには、こう説かれる。
「次の十法を具足するならば、菩薩は正法を修め取る。
①末法の世において、大乗の経典を読誦し、衆生に感銘を与える。
②衆生に対して経典の意味を解釈し、明らかにする。
③経典を正しく解読する人々を愛し、浄信を起こす。
④経典を正しく解読する人々を喜んで供養する。
⑤愛著のない心で正法を聞く。
⑥正しく説かれた教えを念想する。
⑦正法は甘露のようであると思う。
⑧正法は良薬のようであると思う。
⑨身命を惜しまずに、正法を希求する。
⑩熱心に道を求め、成就する。」
はい。また別のね、観点から、今度は大乗というよりも「正法を修め取る」。つまり正法。正しいダルマね。真理のダルマを修め取る方法として説かれてる。
これ、パーッといきますが、まず「末法の世において」――まさに今が末法の世ですけど、末法の世っていうのは、ヒンドゥー的に言うとカリユガね。最も人間界が堕落する時代であると。人々が神や仏陀から心が離れ、この現世の、最も粗雑なものに心が向かい、で、邪悪なことをなすのが普通になると。で、この時代にあって――あの、大乗仏典によくそういう表記があるんだね。その末法の世に、こういうことやったらすごい徳になるとかね。だから末法っていうのは、ある意味ひどい時代なんだけど、菩薩にとってはチャンスでもあるんです(笑)。だって正法の時代に正しいことやるっていうのは、当たり前だから。みんなやってるから。末法の時代に、やりにくいこの世で、この時代に菩薩行をやってこそ大いなる徳になる。だからちょっと変な話だけど、チャンスなんだね。だから頑張りましょうと。
はい。「末法の世において、大乗の経典を読誦し、衆生に感銘を与える。」――まあこれは簡単に言うと、大乗の菩薩の教えを広めるっていうことだね。
はい。そして、「その意味を解釈し、明らかにする」。
で、「正しく解読する人々を愛し、浄信を起こす」。
「正しく解読する人々を喜んで供養する」。
「愛著のない心で正法を聞く」。ここでいう愛著っていうのは、もちろん現世的愛著ね。教えに対する愛著、あるいは聖なるものに対する愛著っていうのは、もちろんそれは持ってかまわない。じゃなくて、まあ、さまざまな、なんていうかな、利害関係っていうか、ギブアンドテイク的な――つまり現世の普通の宝物とかと同じように教えを考えちゃ駄目だってことだね。教えに関しては完全に自分を投げ出すと。全く私心のない心で聞かなきゃいけない。
はい。そして、「正しく説かれた教えを念想する」――ね。常に教えを心から外さないと。念正智し続けると。