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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第11回(2)

◎菩提心を忘れることなく、怠惰でなくあること

 はい。で、まあその上で見ていきますが、そのような菩薩が「大乗を修め取る法は、菩提心を忘れることなく、怠惰でなくあることである」と。これはもう書いてあるとおりですね。まず菩提心を忘れない。菩提心の定義はいつも言うように……じゃあY君、菩提心の定義は?

(Y)不撓不屈の心。

 ん? 不撓不屈の心。それは最後の補助的な言葉だね。

(Y)どんな人も見放さないっていうこと。

 まあ、っていうかね、そうなんだけど、菩提心の定義は「自分がみんなのために仏陀になる」――この決意なんだね。で、そこにおいて不撓不屈なんです。つまりその、みんなを救うっていうことが、机上の空論ではなく、あるいはただのムードではなく、本当に救うと。ね。本当に救うとしたら、おれが仏陀になるしか方法はないと。あるいは仏陀までまだいけなくても、できるだけ修行進めるしか方法はないと。で、当然仏陀への道っていうのはなかなか厳しいと。険しいと。しかし、「みんなのためだったら、絶対おれは仏陀になるんだ!」っていう不撓不屈の心だね。これが菩提心ね。
 で、これを「忘れることなく、怠惰でなくあることである」と。怠惰でなくっていうのは、さっきの話ともつながるけども――まあ簡単に言いますよ。つまり「みんなを救いたい」と。そのためには、特に自分と縁のある者を救うには、わたしの覚醒が必要であると。ね。特にできれば――できればっていうか、最終的にわたしは早く仏陀にならなきゃいけない。仏陀になることで、やっと本当の意味で縁ある衆生を引き上げることができると。しかし、チンタラやってたらいつ仏陀になれるか分からない。よって死に物狂いで、もう全精力を傾けて、あらゆるエネルギー、意識をそこに振り向けて「仏陀になるぞ!」と。
 で、この意識を例えば一回でも持った人は、もう完全に菩薩なんです。しかし多くの人はそれをすぐ忘れてしまうわけだね。だからそれを忘れないっていうこと。決して忘れない。寝ても起きてもそのことを考える。パッと起きて、朝起きたら、「お! おはようございます」と(笑)。ね。「あれ? おれまだ仏陀じゃないじゃん!」と(笑)。「え? まだ仏陀になってないの?」と。「じゃあ、おれの縁のある人たちどうするの?」と。ね。「おれが怠けてるおかげで、例えば、ね、本来ならばあと十回くらい生まれ変わって救われたはずの吉田君が、あと百回生まれ変わらなきゃいけないかもしれない」と。「これはちょっとかわいそう過ぎる」と。「あと十回くらいで終わらせてやりたい」と。「あるいはできるならば今生で終わらせれば最高だ」と。「そのためにはそのすべては自分にかかってる」と。ね。
 皆さんはさ、そうだな、目に見えるものに対しては――もちろんここにいる人たちっていうのは心優しいだろうから――いろんな慈悲を持ちやすいですよね。この間の地震もそうだけども、あるいはいろんな病気の人とか、いろいろあるだろうけど。ただ皆さんが、本気で心から仏教やヨーガの真理を信じたとしたら、みんな悲惨な人ばっかりですよ、周り。全員悲惨ですよ。だってこれから果てしない輪廻を繰り返さなきゃいけないんだよ。しかもなんの、なんていうか、ダルマもなくですよ。これ悲惨でしょ? 自分に当てはめたらどう思います? ダルマのない人生を――しかも今生人間だから良かったけど、動物とか地獄とかも含めてね、いろんなそういう世界を、なんていうかな、こう、いつ終わるとも知れず、死んで生まれ変わりを繰り返さなきゃいけないんだよ。これはちょっとかわいそう過ぎると。本当にもうなんとかしてあげなきゃいけないと。
 で、ここでポイントは、なんとかできるんです。なんとかできないことっていっぱいあるよね。例えばテレビとかで悲惨ないろんな事故とか観てて、でも自分はちょっとなんとかできないと。でも皆さんと縁のある人を輪廻から救うことは、なんとかできるんです。皆さん自身が頑張れば。皆さん自身がステージアップして、仏陀に少しでも近付けば、その彼らの輪廻も短縮されるわけだね。で、それを忘れない。「わたしの修行っていうのは自分だけのものじゃないんだ」と。「縁のある者たちのものなんだ」と。「だから一刻も早く、一分一秒を惜しんで、仏陀への道を歩まなきゃいけないんだ」と。そうするともう、怠惰になってる暇はないんだね(笑)。時間がない。これを、こういう生き方、こういう考え方を日々することによって、まず第一に大乗を修め取れますよと。つまり、菩薩道というものが、自分の中にしっかり根付きますよっていうのが、この一番目の教えですね。

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