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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第10回(7)

◎ニルヴァーナとは

 はい。ちょっとまた、話が広がって――どっから話広がったんだっけね。あ、ユーモアとか言って、話が広がっちゃったんだね。
 はい。それからじゃあ、ちょっとまあ、パッパッパッといくと、「すべてのニルヴァーナを示してニルヴァーナに入ることが」って書いてあるね。っていうことはつまり、ニルヴァーナにも種類があって。
 これは変な話なんだけどね。本当はそんなことは説きません。ニルヴァーナっていうのはすべての消滅なので。消滅には種類がないはずなんだけど、でも実際には種類があんだね。これはまあ段階であったりとか、あるいは、なんていうかな、まあつまり、段階的であるっていうことを示している。ニルヴァーナっていうのは、本来はね。
 はい。それから、原始仏典では、これは実際に原始仏典に書かれているんですが、「ニルヴァーナとは、愛著、嫌悪、迷妄」――つまりこれは、根本煩悩と言われる、貪・瞋・癡ってやつですね。あの、愛着と、嫌悪とか怒り、そして無智ね、迷妄。これがなくなった状態がニルヴァーナですよと。これは非常にシンプルな教えですね。で、それに至る道が八正道ね。原始仏教の修行システムである八正道ですよと。

◎如来の方便

 はい。で、最後に書いてあるのが、「ニルヴァーナというのは、もろもろの如来の方便である。大乗に入ることによって、無上最正覚に通達する。」
 はい。つまりこれは、その――まあつまりここで言ってるのは、あの、一般的なっていうか、いわゆる解脱の教え、つまり輪廻を滅してニルヴァーナに入りましょうっていう教えは、方便なんだよと。
 これもいろんな教えで説かれますけども、なんでそれがあるかっていうと、まあ、これはある教えで言われてるのは、聞いたことあると思うけど、つまり本当はですよ、本当は、このあいだも言ったけども、われわれは全員が菩薩になんなきゃいけない。菩薩になって、最終的には、全員が、如来になんなきゃいけないんだね。菩薩の道でないと如来になれないからね。うん。つまりその、「もうみんななんかどうでもいい」と。「わたしだけ輪廻から離れてニルヴァーナ入るんだ!」――これは菩薩じゃないよね。だから、ニルヴァーナには入れるけども、如来にはなれない。
 「え? でもニルヴァーナに入れるならいいじゃないですか?」と。つまり、わたしもう疲れた、と。輪廻疲れたから(笑)、ニルヴァーナでもう完全なる寂静に入りたいと。いいじゃないですかって言うかもしれないけど、あの、これもちょっとぶっちゃけて言ってしまうとね、ニルヴァーナは永遠ではありません。つまり、また戻ってきちゃうんだね。でもそれが方便っていうことだね。
 方便っていうのは、これもある仏典に書かれていることですけども、つまり今言ったように、ものすごく疲れてる人の場合ね。疲れてるっていうのは、輪廻に疲れてる場合。もういろんな輪廻で苦しみまくってきて――まあ実際に、それはそういうタイプの修行者もいるよね。つまり菩薩の教えなんて全く分からないと。とにかくわたしは解脱したいんだと。人のことなんてどうでもいいと。早く解脱して、絶対なるニルヴァーナに入りたい!――っていう人もいる。で、こういう人には、菩薩行はもちろん理解できない。だからニルヴァーナっていう方便を示すしかないんだね。ああ、分かった分かった、と。じゃあまず、煩悩滅しましょうね、と。ね。人のことはどうでもいいから、まず自分の煩悩を滅しましょう、と。ね。ニルヴァーナ入れますよと。道を示すと。で、それで実際にニルヴァーナに入るわけですね。で、そのニルヴァーナも限界があるんだね。限界っていうのはその、ほんと天文学的な数字ぐらい、経ったあとに、パーッと如来が光を発して、「さあ、そろそろ目覚めなさい」って言って、けっこうもう疲れから解放された衆生が、また輪廻に落っことされるんだね。輪廻に落っことされて、さあ、ちょっともう、疲れはリフレッシュしたと。じゃあそろそろ菩薩行始めましょうか、ってなるんだね。だから結局みんな、菩薩行進まなきゃいけないっていうか。うん。
 でも一応方便として、「そんな、菩薩とかよく分からない」と。「人のために生きるとか分かんない」という人のために、まずニルヴァーナがあるんだよっていう、これは大乗仏教の教えですね。
 だからそういう意味で言ったら、もし皆さんの中に、「ああ、菩薩というのは素晴らしいな」と、あるいは「人のために生きるって素晴しいな」って思える心があるとしたら、皆さんはもうそれを超えてるっていうことです。つまりその、あまりにも輪廻に疲れ切って、菩薩行分かんないっていう段階ではないっていうことだね。もう菩薩の道に入っているわけだから。それはまあ、素晴らしいよね。
 まあ、というよりもその、そのような教えに巡り合ってること自体が、皆さんのカルマを示しているわけですけどね。口でなんと言ってもですよ。このあいだのSさんの例じゃないけど(笑)。口で「バクティは……」とか言いながら、ヤムナー川入ってるじゃん!――っていうのと同じように(笑)、「おれは菩薩行は……」とか言いながら、でももうこういう菩薩の教えに巡り合ってると。ね。あるいは例えばカイラスに来てると。あるいはその、加行でなんか、入菩提行論とか読みながらね、「菩薩行ね……」とか言いながら(笑)……でもそのカルマから言ったら、完全に菩薩行なんです、その人はね。その人の人生っていうのはね。だからまあ、皆さんも、たぶんその菩薩のカルマっていう素晴らしいものがあるのは間違いない。でもそうじゃないパターンの場合、その方便としてニルヴァーナがあるっていうことですね。

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