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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第九回(4)

◎異性への愛欲のデメリット②――アパーナ気

 もう一つ言うならば、今度はこれも似てるけども、このチャクラではなくて、エネルギーの問題。エネルギーでいうと、まさに性的なものっていうのはアパーナ気なんだね。これは皆さん分かると思うけども、このわれわれの下腹部から下に存在する、アパーナといわれる、つまり下に下げる気です。これが性的なものや、異性への感情っていうものを司ってる。つまりわれわれが異性とか性的なものに心覆われると、このアパーナ気が増大し、で、気はどんどん下に下がる。これはだからさっき言ったことと似てるけども、気が下がるっていうことは、逆にいうと気が上に行かない。意識が上に行かないから、崇高なものが分からなくなる。
 で、この下の方のチャクラが示すような、その、なんていうかな――この話っていうのは長く修行してる人はとても分かるとは思うんですけども、われわれが例えば意識が落ちたとき。ね。あのさ、この中でさ、「意識が落ちたとき」ってわたしが今言って、「ああ」って分かる人っていうのは、ある程度修行してる人です。なぜかというと、修行を何年もしてることによって、意識が上がっていくんだね。でもずーっと上がってらんないから、いろんな悪いカルマによって落ちることがある。ね。で、また、でも上がると、修行すると。これを繰り返すうちに、落ちたときの悲惨さが段々分かってくる。ね(笑)。この悲惨さっていうのは、どういう悲惨さかっていうと――この中でも自己認識が甘い人がよくいるだろうから、一応説明するとね、この悲惨さっていうのは、ちょっとね、例えば「ああ、ちょっと暗くなっちゃったな」みたいな世界ではありません。もう世界が全然違くなります。ドヨーンとした、非常に暗く、苦しみに満ちた世界だね。でもそれはね、ちょっとあえて言うならば、もともと皆さんがいた世界なんです。もともと皆さんがいた世界ってそういう世界だった。で、その世界にいるときっていうのは、別に「なんとなく、なんか苦しいかな」とは思うけども、そんなものすごく苦しいわけではない。これはなんでもそうだけどね。外から見てると、例えば悲惨な世界でも――例えば刑務所でもそうだと思うんだけど、そこに慣れてしまうと、「まあ、まあまあいいかな」みたいな感じになってしまう(笑)。ね。で、われわれはもともとはそういう――カリユガの現代っていうのは、普通に生きてたらそういう世界だから。ドロドロとした、あるいはストレスに満ちた、あるいは心の暗さに満ちた世界っていうのがあって、修行によってちょっとそこからパッと頭を出すと。また落ちると。また頭を出すと。これを繰り返していくうちに、自分のその中心点みたいなのがちょっと上の方にシフトしてくる。これはいいことなんだけど、でもまあカルマによってたまに落ちることがあるわけですね。で、この落ちたときってまさに悲惨です。
 で、慣れてないと――慣れてないとっていうのは、この修行人生を長く続けてない人っていうのは、落ちたときにあまり気付かない場合があるんだね。気付かないっていうのは、その瞬間は気付くんだけど……瞬間っていうのは、「あ! 今わたしちょっと意識が悪くなった!」って思うんだけど、忘れてしまう。忘れてしまって、なんかずっとそうだったような感じになる。ね。ずっとそうだったような感じになって、もうネチネチとした心の働きが始まっちゃうんだね。これは非常に危険なんです。で、この悪さをしてるのがアパーナ気なんです。アパーナ気の下に下げる強さによって、ドーンと落ちる。
 あの、ちょっと今日はリアルな話をしてるのでリアルに言うけども、例えば女性の場合、生理ってありますよね。あの生理もアパーナ気の働きです。だから女性の場合、生理前後っていうのは気をつけた方がいい。気をつけた方がいいっていうのは、ちゃんと――まあもちろんいつもそうじゃなきゃいけないんだけど、特にそういうときこそ、いつも以上にね、神に心を向けて、しっかり気が上がるようにしとかないと。まあ肉体的なそういう反応はしょうがないんで、それは。それはしょうがないんで、それに本質的なエネルギーが負けないように、グッと上にエネルギーを上げておかないといけない。それによって意識が下に持っていかれないようにしなきゃいけない。
 で、まあそれはしょうがないんだけども。そうじゃなくて、われわれが気をつけないことによって、心が異性や、あるいは――まあ実際にはもちろん異性だけじゃありませんよ。憎しみとか。まあつまり下の三つのチャクラがあらわす、物欲、憎しみ、そして異性への思い。こういったものに心がとらわれることによってアパーナ気がドーンと落ちます。で、それが取り返しのつかない状態になると、完全に世界が変わってしまって、ドヨーンとした世界に巻き込まれ、非常に苦しくてしょうがない人生が始まってしまう。だから、このアパーナ気が強くなりますよ、アパーナ気によってわれわれが真理が分からない世界に入ってしまいますよと。
 わたしはね、よくいろんな人と会って、それはわたし自身の経験でもそうだけど、いろんな人を見てきてそれは思う。例えばさ、長年修行とかしててね、すごく否定的な人とかいるわけだね。否定的っていうのは、「修行なんか意味あるんですか?」と。「わたしは別にいろいろ煩悩楽しみたいんだ」と。あるいは、「なんでこういうことやっちゃいけないんだ。神なんて……」とか言ってるんだけど、でもその人の過去とか振り返ると、まあ長年修行してるわけだね。「なんかいろいろ言ってるけど、じゃあなんでお前修行してるんだ」と。ね(笑)。つまりそれは完全に落ちてるんです。つまりその人がもともといいカルマがあって修行の世界に入ってきたんだけども、悪いカルマを念正智しなかったがために、その世界にはまってるだけなんだね。外的に見るとですよ、客観的に見るとその人の人生っていうのは、自ら修行の道に足を踏み入れ、で、頑張ってこんな修行してきたような、まさに修行者だったりするんだけど、でも本人の言葉としては、「おれはもう神なんて……」とか(笑)、「修行なんかどうでもいい」とか、「教えなんて……」とか言い出してしまう。これはこのアパーナ気の怖さなんだね。
 だからこれはエネルギー的な話ですけども、アパーナ気を下に下げない。あるいはアパーナ気を強めない日々の注意っていうのはとても大事だね。
 これはこの性的なものが今回はテーマだけども、それだけではありません。あるいは逆に言うと、アパーナ気をしっかりと上げる努力も日々した方がいい。
 あのね、その最たるものは実は蓮華座なんです。ね(笑)。だから蓮華座しっかり組めたらとてもいいアパーナ気に対する対処法ですね。あとはムドラーももちろんそうだけどね。
 わたし気まぐれだからさ、……気まぐれだからって言うと変だけど、皆さんにあげてる加行っていつも変わるんですけども、今新しく加行をもらったら大変ですよ(笑)。最近四時間に一回くらいムドラー入れてますから。四時間に一回じゃない、三時間に一回だったかな?――一日八回くらいムドラー入れてるから。今加行もらうと大変だけど(笑)。でもそれくらい工夫した方がいいっていうかな。なかなか追いつかない。この世で生きてるだけで現代っていうのはアパーナ気がどんどん下がるから。街歩くだけでアパーナ気下がるからね。いろんな広告とかもそうだし、もちろんエネルギー的な問題もそうだけどね。あるいは男性の場合大変ですよね。夏とか街歩くと薄着の女性がいっぱい歩いててね、例えばY君とか……(笑)

(一同笑)

 どうしてもこう、「神よ!」とか言ってても、フッと目を奪われてしまう。でもこれはY君のせいじゃなくて、そういう下に下げるようなカルマが多い時代なんだね。そのカルマの表現としてそういうものがいっぱい周りに現われると。で、なかなか大変だと。だから工夫がいろいろ必要なんだね。
 だからそれはムドラーとか、あるいはバンダね。バンダっていうか日々――これは武術とかでもよくやるんだけど、普段からアシュビニー・ムドラー――肛門をグッグッグッて締めたりを普段からやるとかね。あるいはもちろん精神的には常に神のことを考えて――あのね、仏教でもヒンドゥー教でも同じですけども、もし二十四時間皆さんが神、自分の好きな神とか聖なるものを思い続けられたら、それだけでも実はオッケーなんです。それだけで心がずーっと上にこう固定されるからね。でもなかなかそこまでいけないので、さまざまな工夫が必要なんですね。だからアパーナ気を下に下げない工夫って必要です。
 それからね、このスワーディシュターナ、それからアパーナ気に関してもう一つ言うと――これはさ、過去に関する皆さんの懺悔の対象でもあるんだけど、カルマ理論から言うとですよ、カルマ理論から言うと、自分の問題だけじゃないわけですね。自分だけの問題じゃないっていうのは、例えばある人が、そういった恋愛にはまったとしますよ。あるいは性的なものにはまったとしますよ。まあそうですね、一方的な自分の妄想とか片思いとかだったらまだ別だけども、相手がいる場合ね。相手がいる場合、当然相手のアパーナ気を下げた、もしくは相手のスワーディシュターナにエネルギーを集めたっていうカルマになるんだね。それによって自分のアパーナ気が下がる。あるいは自分のスワーディシュターナにエネルギーが集まるっていう現象が起きるわけだね。これはとても怖い。だからこれは過去を振り返ってね、邪淫っていうかな、性的経験が多い場合。まあ現代人っていうのは今修行してる人でもいろいろ聞くとね、そういった性的経験が非常に多い人が多いわけだけども、それはしっかり懺悔したらいい。その懺悔っていうのは、もちろんその邪淫っていう意味でもそうなんだけど、単純にその邪淫っていうだけではなくて、多くの人のアパーナ気を強めてきたと。多くの人の気を下げてきたと。言ってみればね。で、それが、ほっといたら自分の気も下がるカルマとなってしまったと。だからそれをしっかり懺悔して、まあ逆に言うとこれから、そういう経験がもし多かった人は、逆に人々の気を上げると。ね。周りの人々に、例えば教えを広めて、みんなの気をしっかりと上げてあげるようなことをしっかりやらないと、非常に怖いね。
 はい。これが二番目のアパーナ気ってやつね。

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