「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第三回(11)
【本文】
◎大悲
ボーディサットヴァピタカ(菩薩蔵経)には、まず大悲(衆生を苦しみから救いたいという大いなる哀れみの心)があり、それに続いて菩提心が現われると説かれている。
また、大悲の心を持つ者は、自己の過失を厳しく観察し、他人の過失に対しては寛大でなければならないとも説かれている。
はい。まあこれは読んだ通りですけどね。さっきから言ってるように菩提心の大前提としては、「衆生を苦しみから救いたい」という心がなきゃ、当然駄目だよね。そのうえで、「だったらそのためにわたしは仏陀になろう」っていうのが菩提心なわけだから。これは当たり前のことですね。
はい。それから、「大悲の心を持つ者は、自己の過失を厳しく観察し、他人の過失に対しては寛大でなければならない」――まあこれは、菩提心に関係なくても、みんなが持たなきゃいけない心だね。サーラーダー・デーヴィーとかの言葉にもあるけども、われわれはね、自分の過失を厳しく観察しなきゃいけない。他人の過ちとか欠点を見てもしょうがないんだと。逆に他人に対しては、寛大にならなきゃなんない。逆は駄目ですよ。自分に甘く(笑)――まあ実際そういう人多いよね。うん。人には厳しいと。自分には非常に甘いっていうかな。その逆になんなきゃいけない。自分のことは、本当に厳しく見て、周りの失敗とか欠点には寛大であると。
『入菩提行論』には、それをもっと――これは皆さんちゃんと読んでる人は覚えてるだろうけど、第八章で、もっとそれを極限的にした「自他の交換」っていう瞑想法があるんだね。これは何かって言うと、自分に厳しくどころか――つまり、われわれがさ、周りに対してね、思ってしまう汚い心ってあるよね? 「あいつ失敗しろ!」と。「あ、失敗した」と。もう「みんなこれ知ってください」と。「これ、こんなけがれ持ってるんですよ」――で、自分のことは隠したいよね。自分は実際はけがれもあるし、こういう失敗したことあるんだけど、「これ絶対バレないでくれ」と。ね。これを逆転させなさいっていうんです。つまり、自分のけがれを見つけたら、「バレろ!」と(笑)。「ほら、みんなの目に触れろ!」と。こういう気持ちになる。で、みんなのけがれとか失敗は、「ああ、どうかバレないでくれ」と――いう気持ちになりなさい。完全に逆転させなさいっていう教えがあるんだね。まあそこまではしなくてもいいけど、それくらいの、厳しい自分に対するチェックっていうかね。うん。
この中でも、もしかすると人に厳しい人っているかもしれない。人の欠点が目につくとか、あるいは、どうしても批判してしまうとかね。そういう人がいたら、まさにそれこそ、その気持ちを全部自分に向けてください。自分をチェックし続ける。「さあ、わたしはちょっと外れてないかな?」「おかしくなってないかな?」「心が変な状態になってないかな?」っていうのを、常にチェックし続ける。で、周りに対しては寛大でいると。この気持ちが必要ですよっていうことですね。はい。じゃあ次。