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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第一回(4)

【本文】

◎八難

 また、「八難」に遭遇している人は、神聖なる修行に励むチャンスがない。
 八難とは何か。

 地獄に生まれた者は、修行ができない。これが第一の難である。

 動物に生まれた者は、修行ができない。これが第二の難である。

 餓鬼に生まれた者は、修行ができない。これが第三の難である。

 辺境の地に生まれた者は、修行ができない。これが第四の難である。

 盗人や野蛮人のような、愛著(あいじゃく)や怒りが非常に強い者たちの中に生まれると、修行ができない。これが第五の難である。

 言葉を理解できない者として生まれると、修行ができない。これが第六の難である。

 またある者は、如来が法を説かれた時代に生まれても、誤った見解を持つために、布施や供養を施すこともない。そしてカルマの法則も信じず、来世も信じない。このような誤った見解にとりつかれた者は、たとえかたち上、修行の道に入ったとしても、真にダルマを悟り得ることはできない。これが第七の難である。

 またある者は、人間界に生まれ、能力があり、愚か者でもなく、正しい見解を持ち、修行の道に入るが、如来の教えがない時代に生まれた。これが第八の難である。

 はい。これはね、「八難」――実際これはいろんなね、この八つ以上にいろんな条件がつけられることもありますけども、まあここではこの八つがあげられてるわけですね。この八難っていうのはなんでしょうかと。まず、地獄・動物・餓鬼ね。この三つ。この三つの世界に生まれると、われわれは修行できませんよと。これもね、何度も言ってるけども、まず地獄っていうのはもう苦しすぎて修行できない。これは当たり前の話ですね。皆さんが例えば体中を刃物で切り刻まれてるときに修行できるかと。例えば皆さんが体中にね、まあリアルに想像してみてね、体中にガソリンをかけられ、炎でガーッと燃えてると。このときに教学できます(笑)? 

(一同笑)

 心を静めて教学ができるとしたらすごい人だね。もしくは体中がワーッて切り刻まれてるときに、ムドラーとかできますか(笑)?

(一同笑)

 ウワーッてやられてるときにムドラーできるとしたら、すごい精神力の持ち主だよね(笑)。ね。つまりもう、そんな頭が回らないわけですね。もう今の痛みに集中しちゃって、あるいはその恐怖とかに集中しちゃって、教えとかも全部吹っ飛んでる。これが地獄の状態だから、まず当たり前の話なんだけどね、地獄では修行できないと。

 そして動物っていうのは、まあいつも言うように、無智であると。で、動物の無智っていうのは、もう本当に致命的なんだね。なぜ致命的かっていうと、まずね、まずハードが無智なんです、ハード。つまり、脳が小さいと。われわれはね、われわれ人間の無智っていうのは、改善することができる。つまり人間のそのボディに今われわれははまっちゃってるんだけど、でも人間の頭脳っていうのはいつも言うように、まあ例えばよくね、まだ三パーセントしか使ってないとかいわれるけども、この人間のハードっていうのは、われわれが使おうと思えば、その可能性って素晴らしい知性の可能性を持ってるんだね。だからわれわれは相当高度なことも考えることもできる。もともと無智だった人も、がんばって教学したり、あるいは修行したりすることで、以前理解できなかった真理を理解できるっていうことは十分できるわけですね。でも動物はもう本当にハードからもう無智になっちゃってるんで、なかなかそれを超えるのは難しい。
 もちろんね、例外はありますよ。例えばお釈迦様が動物に生まれてね、動物を救済したこともあるから。その例外として、そういう奇跡的な動物が生まれることもあるけども、一般的にはもしわれわれが動物に生まれてしまった場合は、まあなかなかその理性っていうかな、ものを分析的に考えることが難しいので、修行するのは難しい。
 まあだから、可能性があるとしたら、修行者のペットとして生まれて、自分では修行できないけど、ずーっとそのマントラを聞かせてもらうとかね。あるいは聖なるヴァイヴレーションの中で浸らせてもらうとか(笑)。そういう受動的な修行しかできないね。

(K)で、いじめられた方がいいんですよね?

 ん?

(K)いじめられた方がいいんですよね?

 もちろんいじめられた方がいいね。でも、いじめちゃ駄目だよ(笑)。だからといって(笑)。

(一同笑)

 いじめちゃ駄目だけど、偶然っていうか、カルマによって、ちょっとこう悪いね、意地悪な主人に飼われていじめられると。これはだから最高だね。だから動物から……

(一同笑)

 いや、ほんとなんですよ。動物からね、上がる――動物っていうのは、動物から人間にジャンプアップする可能性を秘めている。その一つのパターンとして例を言うと、ペットとして飼われると。で、飼い主に安らぎを与えると。ね。あるいは、まあ例えば自分の子供がいるとしたら、子供とかを愛しく育ててあげると。こうして善は積むと。しかし、飼い主からいじめられると。ね。で、カルマが落ちると。あるいは、例えば去勢されたりとか、あるいは家からあまり出してもらえないことによって、悪業も積まないと。動物とか虫とかも殺せないと。そういう非常にストレスがたまるけども、悪業は積まない環境で、カルマだけ落とされて、でも自分は飼い主に安らぎを与えたり、あるいは子猫を育てたりして徳を積むと。こういう消極的な感じでしかジャンプアップできないんだね(笑)。うん。だからこの動物に生まれても、われわれが例えば修行との縁があったとしても、なかなか自分では修行できない。だから動物に生まれてはいけないと。

 はい。餓鬼。餓鬼っていうのは、餓鬼って意味って実は幅広いんだけど、ここでいう餓鬼っていうのは、まあ言ってみれば、餓えた霊です。餓えた霊ね。英語で言うと、「ハングリーゴースト」。ね(笑)。

(一同笑)

 「ハングリーゴースト」ね(笑)。よく仏典とかね、仏典とかの英訳版見ると「Hungry ghost」って書いてあるんです。だから今言ったんだけど(笑)。「ハングリーゴースト」ね。餓えた霊ね。
 で、実際ね、霊の世界にわれわれが生まれた場合、生まれる一つの要因として、その、ものすごいね、やっぱり執着が強い人。そしてそれを、いつもいつもイメージしてるような人ね。こういう人っていうのは、まさに幽霊としての素質があるんだね。だから、マニアックな人ですね。マニアックにいろんなものを、「あれが欲しい、これは欲しい」ってずーっとイメージしてる。霊の世界ってつまりイメージの世界だから。で、それが度を越した場合――われわれはね、この人間でいるときっていうのは、普段の人間的な理性も持ちながら、たまにそういうイメージの世界で遊んだりするだけなんだけど、餓鬼の世界っていうのは、まさにイメージ百パーセントの世界なんです。もうそこにガッとはまっちゃうんですね。ですからその自分の妄想や、あるいは欲望のイメージっていうかな、それにもう四六時中襲われてる世界です。で、それでイメージの世界だから、なかなかそれが叶えられない。イメージの中で欲望を追い求め、で、徳がそんなにないから、それが満たされるっていうイメージではなくて、いつもこう満たされないっていうイメージになるんだね。よくそれは食べ物が中心にいわれるんだけど、食べ物だけじゃないんです、実はね。まあただ食べ物の場合が多いから、餓鬼っていうのは餓えた霊って書かれるんだけど、食べ物だけではない。食べ物だけではなくて、いろんな自分が欲求するものを追い求めて、しかしもう少しで得られないとか。あるいは得ようとしたら、逆に多くの苦しみがやってくるとか。そういう妄想の中で苦しんでるのがこの霊なんだね。
 で、この餓鬼の場合はまさにその、ものすごい欲求が四六時中続いてることによって修行ができないんです。これはどういうことかっていうとね、皆さんの中にも、もちろんたまにそういう経験あるでしょ? ある人はたまにあるかもしれない。ある人は一日何回かあるかもしれない(笑)。つまりどういうことかっていうと、ある欲求にものすごくおそわれて修行できないと。ね。例えばね、これはそうだな……ちょっとこれは観念的な言い方になっちゃうんだけど、一応一般論としてね、わたしもまあ――わたしが聞いた話でもあるし、わたしがいろんな人を見てきた一つの話でもあるんだけど、例えば例を挙げるとね、血液型O型の人っていうのは、わたしもO型なんだけど、やっぱりね、食欲のカルマが強いんですね。で、O型の人っていうのは、腹が減るとちょっと何もできなくなります(笑)。

(一同笑)

 まさに、「腹が減っては戦ができぬ」っていう象徴みたいな感じで、わたしもだからそうだったんだね。うん。もう腹が減るとね、もう一切のやる気を失くす(笑)。

(一同笑)

 で、逆にそれがちゃんと満たされると、「よし! すべての障害をね(笑)、もうぶち砕いて、おれは負けない!」ってすごいパワーがあるんだけど、腹が減るとすべてがもう、なんていうかな、何もできなくなる。
 ――まあここまで言ってなんだけど、O型の人どれくらいいますか?――お、結構いるんだね(笑)。はい。まあ例外もあるだけろうけどね。O型の人はそういう傾向があるっていわれてる。

(H)ぼくはお腹いっぱいになると寝ちゃうけどね。

(一同笑)

 そうだね(笑)。それはあるかもしれない(笑)。まあちょっと今のは例として出しただけだけども。はい。その場合ね、今のは例としてね。で、そういうタイプの人がいるとして、そのお腹が空いたっていう状態ね。つまり、そのときっていうのは、もう、例えば、「はい。この時間にこの修行やる」って決めてても、もうお腹が空いたっていうことにとらわれたときっていうのは、もうソワソワソワソワして、もう頭がそれでいっぱいになるわけですね。もう修行なんかできない。もう今自分のお腹を満たすこと――で、もうちょっと味覚にとらわれてる人は、例えばそれが「何々を食べたい」と。そこでもうとらわれてしまう。例えば、「あの店のあのケーキを食べたい」と。「よし! ぼくはあのケーキを食べてから修行がんばるぞ!」って思って店に行ったら、売ってなかったとするよ(笑)。

(一同笑)

 そうすると、もう心がその渇愛でいっぱいになる。「なんとかして手に入れよう」「あ、あっちの支店もあったな」とか、それを満たすまで、例えばその支店まで三十分かかるとしてね――じゃあ皆さんこう考えるでしょ。その三十分間、電車の中で修行すればいいじゃないかと。でも、この、ここに頭がとらわれてる人っていうのは、その三十分間も修行できないです。もうそれで頭がいっぱいでね。これが餓鬼の状態なんだね。意味分かるかな? 
 あの、あんまりね、この中で貪りが強くない人っていうのは、それは素晴らしいことだけども、今の例えが分かんないかもしれない。でも、貪りが強い人はよく分かるかもしれない。貪りにとらわれてるときっていうのは、貪りを達成するまでの期間っていうのは、「え? その期間無駄だから修行すればいいじゃないですか」って言われても駄目なんです。もうそれに心が集中して、それを達成するまではもうイライラ、ソワソワして駄目なんだね。で、ここが問題なんです。でも人間界ではそれは一時で終わる。
 もう一つ例をあげると、性欲なんかもそうだね。これは皆さんどうか分かんないけど、特に男性の若いときってそうだと思う。わたしも例えば中学生くらいから修行してたわけだけど、まあ大体男性の――わたしは女性じゃないから、もちろん女性は分かんないんだけど――男性の中高生時代って、すごい性欲が強いわけだね(笑)。で、まあ普段はそうでもないんだけど、エネルギー的に性欲が出てきたときっていうのは、もう頭がそれでいっぱいになる。もう悶々として、で、なんかこうエロ本が見たくてしょうがないとか(笑)。で、なんかこう……なんていうかな……あまりリアルな話してもしょうがないんだけど(笑)、例えば友達のあいつの家に行けばあのエロ本借りられるかなとかね(笑)。そういうので頭がいっぱいになって、なんとかしてその欲求を叶えようっていうことでもういっぱいになるわけですね。その間ってもう真理とか吹っ飛んでるわけです。あるいは勉強しなきゃいけないとかも吹っ飛んでる。
 で、さっきも言ったけども、人間界の場合はその持続時間は短いんです。そのとらわれて何も見えないっていう時間はね。で、餓鬼の場合はそれがずーっと続いてるって考えてください。だから修行できないんです。何かにもう心がとらわれて、「それを達成するまでは何も見えない」と。ウワーッていうのが――で、餓鬼はカルマ的に達成されないから、達成されないから、それがずーっと続くんだね。その、得たいのに得られないっていう苦しみでもういっぱいになってる。だから餓鬼も修行できないんだね。
 はい。よって、地獄・動物・餓鬼はまず修行できませんよと。

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