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「解説『スートラ・サムッチャ』」第14回(3)

◎無知の知

 で、だからこの如来の――如来、あるいはこの世界を超越したバガヴァーンと、この輪廻の闇の世界に捕まってるわれわれとの接触っていうのは、なんていうかな、われわれはリアルには感知できない。じゃあどのように感知されるのかっていうと、われわれのカルマあるいはわれわれの、そうだな、いい意味で言ったら、どれだけ目が開いてるか、あるいはどれだけ真理との縁があるかによって、見え方が変わってくるんですね。
 で、また別の言い方をすると、われわれの必要としてるかたちで見えます。必要としてるかたちで現われるんだね。だからお釈迦様が現われて、あるいはいろんな大聖者が現われて、教えを説きましたと。これは、お釈迦様の方に主観性があるわけじゃないんです。何を言ってるかというと、お釈迦様が自分の考えで――例えばお釈迦様だった場合は、インドのある王国に生まれ、そして出家し苦行を行ない、そのあと悟りを得て、で、仏教教団を形成し……っていう一つのストーリーがあるわけだけども。これは、そのようにお釈迦様がして、それによって人々が救われてったっていうんじゃないんです。何を言いたいかっていうと、お釈迦様はもちろん現われました。でもそのように見えたのは、その当時のインドの人たちのカルマです。それによってお釈迦様の存在が――王子として生まれ、出家し、八正道を中心にした教えを説いた存在として見えただけなんだね。もしその当時のインドの人たちのカルマが違うカルマだったら、違うふうに見えます。違う存在としてパッと現われてっていう感じになるんだね。
 だから例えばね、われわれは例えば聖者とかの話にしてもそうだけど、分かりやすいように理解したがるね。分かりやすいように理解したがるっていうのは、例えばお釈迦様が現われたとしたら、「お釈迦様は前生はなんだったんでしょう?」と。ね。あるいは皆さんの知ってるいろんな聖者がいますよね。例えばラーマクリシュナにしろヴィヴェーカナンダにしろ、シヴァーナンダとか、いろんな、ヨーガーナンダとか聖者がいるとして、「はい、例えば彼らは前生どうだったんでしょう?」「いや、多分前生はこういう世界でこういう救済をしてた」と。あるいは例えば、「このときはチベットにいたのかもしれませんね」と。「で、こうしてちょっと――まあ例えばね――天界のここでちょっと休んで、で、その生、みんなを救うためにインドに来ました」とか、「チベットに来ました」とか、そういうふうに分かりやすく考えたがるんだけど、それは完全にわれわれの概念内の話であって、実際はそんなものは越えてると思ってください。だからそんな分かりやすい話ではない。分かりやすい話じゃなくて――というよりも、くり返すけども、どちらかというと、こちら側の条件によって、如来がどういうふうに降りてきて、どういうふうに救済して、で、どういうふうに次に向かうのかっていうストーリーが、まあかたち付けられてるだけなんですね。
 じゃあもともと如来はなんなのかっていうと、もうわれわれの目から見たらもうそれは、実体のない空性というしかないんですけども、実際にはただの空性ではありません。実際には――われわれがあっち側の世界に行ったならば、つまり如来と同じもし世界に行ったならば、まあ言葉では表わせないけども、「ああ、なるほど」と。「こうでこうでこうですね」ってなるわけだけど(笑)。それは今のわれわれには分からないんだね。分からないっていうか、認識すらできない。
 これはね、分からないっていうのを分かることはとても大事です。ま、つまり無知の知ってやつですけども。分からないっていうことはちゃんと理解しなきゃいけない。分からないっていうのは、智慧が少ないから分からないんじゃないよ。世界が違うから分からないんです。さっきの次元の話みたいな感じで――もう一回言うけど、次元っていうのは、ただ能力の違いとかじゃないからね。全く違う世界ですからね(笑)。なんていうかな、馬と柿ほど違うという(笑)。馬と柿っていうのは、馬と柿って全然違うじゃないですか(笑)。ジャンルから違うっていうか。それくらいわれわれの頭をちょっとぐじゃぐじゃにして、もうひっくり返して――しないと分からないような世界なんだね。だから、そういう柔軟な思考があると、この、なんていうかな、われわれが悟らなきゃいけない、悟らなきゃ分からない世界ではあるけども、でもなんとなくうっすらと、何を言おうとしてるのか分かるかもしれない。
 大乗仏典っていうのは、特にこういう表現すごく多いんだね。一見読んだだけでは、何言ってるのか分からないと。ちょっと言葉的には矛盾してるような感じがするし、っていうのが多いんですけども、実際にはそれはわれわれの焦点が合ってないだけであって、あるいはわれわれの概念が非常に狭いだけであって、っていう話ですね。

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