yoga school kailas

「母なる神」第四回(4)


 はい。で、もう一つは今度は逆に、「自分の内の何かが、それらを拒絶しようとしないのであれば」ってあるね。つまり今度は逆に、自分の中に反真理に向かおうとする流れがあったとしても、別の自分の要素がそれをちゃんとシャットアウトしてくれればいいわけですね。つまりいつも言うように、自分の中に真理の側の武器をいっぱい作るってことです。それは日々教えを学んだその教えの情報であったり、あるいは――もういろいろある、これは。熱意であったり、あるいは信仰や帰依の心であったり、あるいは責任感であったり、いろいろありますよね。あるいは菩薩としての慈悲――つまり、「おれがやらなければ、みんなは救われないんだ」っていう菩提心とかね。もういろんな要素がありますよね。で、いろんな要素を学んで、それを修習して、で、自分の武器として置いておかなきゃいけない。
 で、それによって――まあだから、これはまさに念正智の話なんだけどね。まさにこの多くの――今言った、例えば熱意であるとか、菩提心であるとか、菩薩としての責任感であるとか、あるいは帰依から生じる「わたしは主のしもべなんだから、がんばんなきゃいけないんだ」っていう気持ちであるとか、こういったいろんな武器を置いといて、で、それらによって自分の心を念正智――つまり観察するわけですね。つまり、「さあ、悪しき心の波が出てこないかな?」と。「一瞬でもそれを見逃さないぞ!」っていう気持ちでこう観察するわけだね。で、一瞬でもそれが出てきたら、それを駆逐すると。このようなことをしなきゃいけない。つまり、ここで言ってるのは、まさに念正智の教えです。
 つまりね、この『母なる神』の全体、あるいはバクティヨーガとかの教えって――いつも言うけどさ、まあカイラスで教えてる教えっていろんな教えがあるわけだけど――まあクンダリニーヨーガとかそういうエネルギー的なのは除いて、精神的なので言うとね、一つはまあ『入菩提行論』とか『心の訓練』に代表されるような念正智的な教えがありますよね。で、もう一つは、この『母なる神』に代表されるような、バクティ的な教えがある。ただ、このバクティ的な教えっていうのは、真髄をついてるんだけど、でもちょっとこうなんか大雑把に見えますよね。うん。「とにかくおまかせ!」みたいな感じがあるよね(笑)。うん。でもこの『母なる神』を見ても分かるように、『母なる神』って大体が、その真髄的なおまかせの心意気っていうか、志をガーッて説いてるんだけど、でもこの一節は完全に念正智の教えですね。つまり実際に、大雑把な意味で、「さあ、おまかせするぞ!」と、「さあ、わたしのすべてを神に捧げます!」っていうだけじゃ、実は駄目なんです。つまりここに書いてあるような、念正智がしっかりできていないといけない。
 つまり、ちょっと読んでみると、「まずは自分の内に潜む欺瞞的な点や曖昧な点を突き止めて、それらを絶え間なく退け続けることだ」――ね。「自分の内に潜む欺瞞的な点や曖昧な点を突き止めて、それらを絶え間なく退け続ける」――念正智ね。で、それは、もう一回言うけども、さっき言った、まあ順番としては、まず自分の中に、そのような教学や、あるいは日々の思索や、あるいは帰依の修行や、菩提心について考える等によって、自分の中にその武器を増やす。まあここでいう武器っていうのは、一つはもちろん教え等の情報ね。一つは習性っていうか。うん。で、もう一つは、心の行動原理っていうかね。つまり、「なぜ修行してるのか?」とか。あるいは、「なぜわたしは悟りたいのか?」「そもそもわたしは何したいのか?」――ね。こういうことをしっかり日々考え、そしてそれをちゃんと確固たるものとして持たなきゃいけないんだね。で、それが大いなる武器になる。
 それはさっき言ったように何パターンかあっていいよ。で、そのすべてのパターン持っててもいいよ。例えばもういくつかあげると、まあそもそも心の内から生じる論理的ではない衝動として、「とにかく悟りたい!」とかあるかもしれない。まあそれはそれでいい。それから、菩提心っていう意味でいったら、「自分と縁のある者を救うには、自分がけがれにまみれてちゃ駄目なんだ!」と。「だから早くわたしは自分を浄化して悟りたいんだ!」っていう思いかもしれない。あるいはそうじゃなくて、「わたしは神にすべてを捧げたい」と。「主に捧げたい!」と。「その純粋な道具となりたい!」と。「そのためには早くこのけがれを浄化しなきゃいけないんだ」っていう思いかもしれない。あるいはその他でもいい。そういった自分の中の確固たる決意、熱意。で、その――もう一回言うよ、そのフィーリングだけじゃなくて、その理由っていうかな。「こうだからわたしはこうしなきゃいけないんだ」――もちろん理由なき理由でもいいよ。理由なき理由の場合は、その思いにただ心を合わせればいい。「言葉にはできないけども、わたしの中にはこういうのがあるんだ」と。
 で、それを徹底的に――いつも言うように、灯火として育て大きくして、で、それによって、それと反するものを念正智して退け続けると。だからこれは、曖昧な、「さあ、神よ!」ではなくて、非常に細かい、地道な、二十四時間を使った、一瞬一瞬、心を自分の理想から離さない、監視し続ける作業になるんですね。だからまさに念正智の世界です。
 だからいつも言ってるように、大まかな流れとしてはバクティヨーガをしっかり学ばなきゃいけないんだけど、より細かな現実的な作業としては、やっぱり『入菩提行論』に代表される、念正智の世界をしっかり学ばなきゃいけないんだね。
 まあだから、基本的には教学があります。だからわたしは皆さんにも、加行においても、今回の合宿とかにおいてもね、教学をすごく重視させるわけですけども、やっぱり教学っていうのは、ちゃんと入ってないといけない。これね、本当にね、わたしから皆さんに対する大きなアドバイスです。わたしから皆さんに対するっていうのは、当然わたしは皆さんよりも長く修行してるわけだけども――で、いろんな経験をしてきたわけだけど、その中でやっぱり教学が大事なんだと。うん。
 教学の情報っていうのは――あのね、教学の情報っていうのは、もちろん皆さんが認識しようがしまいが、入ってますからね。これは何だってそうだよ。いつも言ってるけど、われわれが見聞きしたものは全部入ってます、われわれの内側に。で、その入ってる、無意識のうちに入ってる教学の情報が、皆さんを救うときが多々あるんだね。それは皆さんが深い瞑想に入ったときとかもそうだし、あるいはカルマによって、悪いカルマに翻弄されそうになったときもそうだし。そういうときにこの教学の情報がまず一番の土台となって、皆さんを救う種となるっていうかな。

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