「母と息子の光明」
◎母と息子の光明
【本文】
生きているうちに修行によって経験する四つの空を「息子の光明」と呼び、死の時にあらわれる四つの空を「母の光明」と呼ぶ。修行者は、死の時に、「息子の光明」を「母の光明」に混ぜ合わせる。
それをするには、覚醒時にプラーナを中央気道に入れ、とどめ、溶け込ませたうえで、四つの空、特に四番目の空に慣れておかなければならない。また、睡眠時に、どれだけ睡眠が深くても、睡眠を光明と混ぜ合わせられるようにしておかなければならない。
死の光明を死の光明であると認識し、息子の光明と混ぜ合わせることができたならば、その後にバルドがあらわれるプロセスもハッキリと認識できるので、バルドを自由にわたることができる。
これも何度も同じ繰り返しですけどね。生きてる間に経験した四つの空。これは息子の光明と呼ばれます。で、死んだ後に経験する、その死の空、これを母の光明と呼ぶと。で、それを混ぜ合わせるんだと。
混ぜ合わせるっていうのはつまり、簡単にいうと、自分の生きてるときに経験してきたその空の状態をグーッと生起させて、実際に死後に訪れる状態と混ぜ合わせる。溶け込むと。
はい、それは――それを実際になすには、何度も言うように、生きてる間に中央気道にエネルギーを入れるクンダリニー・ヨーガ的な修行、そしてそこから生じる四つの空――特に四番目の空に慣れておかなきゃいけませんよと。あるいは睡眠のときに――これは夢のヨーガとか光のヨーガの修行によって、その睡眠自体をね、その光り輝く空に混ぜ合わせる修行をしっかりやっとけと。
はい、そして、それができていれば死の光明をしっかりと認識し――もちろん完全に認識して、そのまま悟りの世界に入ることもできる。しかしそれができなかったとしても、その後にバルドを明確に認識し、そして自由に渡る。
つまりこれは何をいってるのかというと、みなさんよくさ、死者の書とかの教えで、いろんなバルドの渡り方が書いてある。つまり「はい、この状態ではこうなるからこっち選んじゃいけませんよ」とか書いてあるね。でもあれは、普通は不可能なんだね。不可能っていうのは、何度も言うけども、まず大部分の人は気絶します。気絶っていうのはつまり、意識がよく分かんない状態でバルドを行くので、死んで、気づいたら他の世界にもう生まれ変わってる。これは最悪の状態。で、もうちょっと意識がある場合は、さっき言ったみたいに、非常に混沌とした意識です。混沌とした意識だから自分が死んだのかどうかもよく分かってない。分かってないし、例えば「よし、おれは死んだから今こそバルドの教えを使おう」なんてことは考えられないんだね。そこまでは意識が明確じゃない。
じゃなくて、このバルドの四つの空をしっかりと認識し、でも悟りまではいかなかった。でも認識はできた。この状態でバルドに入った場合は、まさに理想的な――つまりいろんなものが現われるんだけど、ちゃんと記憶もあって、例えば食べ物が現われた。神が現われた。いや、それは当然こっちでしょと(笑)、神を選ぶ。ね。明確な意識で正しくバルドを渡れるんですよと。あるいは例えば自分の師匠とかね、自分のずーっと敬愛していた神とかが現われたきたら、「いやあ、もうそこに行きます」と。ね。そういう感じで正しく、潜在意識のエネルギーに惑わされずに、死後の世界を渡ることができますよということですね。