yoga school kailas

そのとき誰が

 スワミジは続けた。

「おまえは今までずっと彼の恩寵を受けてきたではないか。そうでなければいったい、どうしてここにいるのか。シュリー・ラーマクリシュナはよくおっしゃっていた。

『神の恩寵を受けている者は、どうしてもここに来てしまう。彼らは、どんなとき、どんなことをしていようとも、ここから発せられる言葉や感情に必ず影響される。』

 ここでおまえ自身のことを考えてみると、もし神の恩寵がなければ、神の恩寵の力によって魂の完成に至り、この恩寵が真に意味していることを知るに至ったナーグ・マハーシャヤと運良く会うことがおまえにできたと思うか?

『厳しい修行を積み重ねることによって、ヨーギーはすべての罪汚れを清め、
 幾多の誕生を繰り返した後、ついに至上の目的地に着くこととなる。(ギーター六、四五)』

 数多くの生まれ変わりを通じて獲得した立派な宗教的価値ある善行があったからこそ、彼のような偉大な魂に巡り会うのだ。文献で述べられているような、すべての高いレベルの典型的なバクティは、ナーグ・マハーシャヤに現われている。『草の茎よりもさらに謙虚な』と広く引用されている言葉を実際に実現しているのは彼だけである。おまえの東ベンガルは、ナーグ・マハーシャヤの足に触れることによって本当に神聖になったのだ。」

 このような会話をしばらくした後、スワミジは偉大な劇作家であるバーブ・ギリシュ・チャンドラ・ゴーシュを訪ねた。スワミ・ヨーガーナンダと弟子は彼について行った。ギリシュ・バーブのところに到着し、スワミジは座って言った。

「あなたはお分かりだと思いますが、最近、シュリー・ラーマクリシュナのメッセージなどを世界に広く伝えるために、ああすべき、こうすべきといった考えが常に頭に浮かびます。けれども、この一連のことは、インドにもう一つの宗派を形成することになるのではなかろうかと、もう一度よく検討するために先には進めていません。ですから、細心の注意を払いながら実行しなければなりません。宗派が形成されてしまったらどうしようか、と考えることもあります。一方、その後には再び『そんなはずはない』と思い直します。シュリー・ラーマクリシュナはいかなる者の霊性の見解であろうと、決して否定されることはなかった。それは、いつも内なる唯一者を見ていたからです。私もいつもこの考え方に基づいて、自制しています。これについて、あなたはどう考えますか?」

 ギリシュ・バーブ「この件に関して、私に何が言えましょうか。あなたは彼の手の中にある道具です。あなたは、ただ彼が望むことをなせばよいだけなのです。私は細かいことは心配していない。しかし、主の力があなたを通じて働こうとしていることは分かります。これは日光を見るように明らかです。」

 スワミジ「しかしわれわれは、物事を自分の意志に基づいて行なっていると思っています。ただし、不幸や逆境のとき、貧乏や貧困のときには、彼が姿を現わし、正しい方向にわれわれを導くということを、私は理解しています。しかし残念ながら、私はまだ彼の御力の偉大さを、いかなる方法によっても理解できていません。」

 ギリシュ・バーブ「そう。彼はおっしゃっていた。
『おまえがそれを完全に理解してしまえば、すべてのものは瞬く間に消滅してしまう。そのとき、誰が働き、誰が働かされるのか?』
と。」

(「ヴィヴェーカーナンダとの対話」より)

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